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安倍談話「おわび」「侵略」言及 目立つ引用・間接表現:朝日新聞デジタル

【動画】戦後70年の談話を発表する安倍晋三首相=井手さゆり撮影

安倍首相の戦後70年談話全文:朝日新聞デジタル

 8月は私たち日本人にしばし立ち止まることを求めます。今は遠い過去なのだとしても、過ぎ去った歴史に思いをいたすことを求めます。


 政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません。戦後70年という大きな節目にあたって、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を振り返り、その教訓の中から未来に向けて、世界の中で日本がどういう道を進むべきか、深く思索し、構想すべきである、私はそう考えました。


 同時に、政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。


 ですから談話の作成にあたっては、21世紀構想懇談会を開いて、有識者のみなさまに率直、徹底的なご議論をいただきました。それぞれの視座や考え方は、当然ながら異なります。しかし、そうした有識者の皆さんが熱のこもった議論を積み重ねた結果、一定の認識を共有できた、私はこの提言を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、この提言のうえにたって歴史から教訓をくみ取り、今後の目指すべき道を展望したいと思います。(以上、記者会見での冒頭発言)

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。


 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。


 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。


 当初は、日本も足並みを揃(そろ)えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。


 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。


 そして七十年前。日本は、敗戦しました。


 戦後七十年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠を捧げます。


 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。


 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。


 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈(かれつ)なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。


 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。


 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。


 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別(けつべつ)し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。


 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。


 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫(わ)びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。


 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。


 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛(つら)い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。


 ですから、私たちは、心に留(とど)めなければなりません。


 戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。


 戦争の苦痛を嘗(な)め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。


 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。


 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。


 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。


 しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。


 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈(しれつ)に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐(おんしゅう)を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。


 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。


 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。


 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。


 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意(しい)にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引(けんいん)してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。


 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。


 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

 (談話を読み上げ後)以上が私たちが歴史から学ぶべき未来への知恵であろうと考えております。冒頭私は、21世紀構想懇談会の提言を歴史の声として受け止めたいと申し上げました。


 同時に私たちは歴史に対して謙虚でなければなりません。謙虚な姿勢とは果たして、聞き漏らした声がほかにもあるのではないかと、常に歴史を見つめ続ける態度であると考えます。私はこれからも謙虚に歴史の声に耳を傾けながら、未来の知恵を学んでいく。そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。私からは以上であります。

戦後70年 安倍首相会見 質疑応答全文 NHKニュース

Q:総理は戦後70年談話について、世界に発信するものだと位置づけてきました。国内外に最も伝えたいメッセージは何でしょうか?。また、過去の村山談話や小泉談話と違う形で「お詫びの気持ち」や「侵略」の文言を入れた理由を聞かせてください。


A:戦後70年という大きな節目にあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、20世紀という時代を大きく振り返りながら、その教訓を胸に刻み、戦後80年、90年、100年に向けて、どのような日本を作り上げていくのか、それを世界に向けて発信したいと考えました。


作成にあたっては、国民の皆さまと共に、日本が目指すべき国家像を描くという意味で、できるだけ多くの国民と共有できるような談話を作って、そう心がけました。より幅広い国民とメッセージを共有するという観点からは、一部だけを切り取って強調することよりも、談話全体としてのメッセージをご覧いただきたい、受け取っていただきたいと思います。


先の大戦における行いに対する「お詫びの気持ち」は、戦後の内閣が一貫して持ち続けてきたものであると考えています。そうした気持ちが、戦後50年においては村山談話という形で表明され、さらに60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは引き継がれてきたと考えています。こうした歴代内閣が表明した気持ちを私の内閣においても揺るぎないものとして、引き継いでいく、そして、おそらく今後の内閣においても、そのことを今回の談話の中で明確にしたところであります。


次に、「侵略」ということばについてでありますが、今回の談話は「21世紀構想懇談会」において、有識者の方々が共有した認識、その報告書のうえに立って作成したものであります。その報告書の中にもあるとおり、中には「侵略」と評価される行為もあったと思います。だからこそ、談話においては、事変、侵略、戦争といったことばをあげたうえで、事変、侵略、戦争ということばをあげながら、いかなる武力の威嚇や行使も国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならないことを、先の大戦への深い悔悟の念とともに誓ったと表現しました。


先の大戦における日本の行いが「侵略」ということばの定義に当てはめればだめだが、当てはまらなければ許されるというものではありません。かつて、日本は世界の大勢を見失い、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって打開し、あるいは、その勢力を拡大しようとしました。その事実を率直に反省し、これからも法の支配を尊重し、不戦の誓いを堅持して、ということが、今回の談話の最も重要なメッセージであると考えています。そのうえで、具体的に、どのような行為が「侵略」に当たるか否かについては、歴史家の議論に委ねるべきであると考えています。重要な点は、いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としてはもう二度と用いてはならない、ということであります。これが、私たちが過去から学び、教訓とし、反省すべきことであると考えます。


Q:総理は、2009年、月刊誌の対談で、村山談話について「政権が変わるたびに、その継承を迫られるようになるまさに踏み絵です。村山さんの個人的な歴史観にいつまでも日本が縛られることはない」と述べておられます。これらの発言と、今回の談話の整合性について分かりやすく説明してください。


A:村山談話につきましては、これまでも全体として引き継ぐと繰り返し、申し上げてきたとおりであります。同時に、私は、政治は歴史に対し謙虚であるべきであるとも申し上げてきました。その信念の下、今回の談話の作成にあたっては、「21世紀構想懇談会」を開き、学者、歴史家をはじめ、有識者の皆さんにお集まりをいただき、20世紀の世界と日本の歩みをどう捉えるか、大きく世界と時代を超えて俯瞰(ふかん)しながらご議論をいただきました。


視座や考え方が異なる有識者の皆さんが、最終的に一定の認識を共有できました。私は、この「21世紀構想懇談会」の報告書を歴史の声として受け止めたいと思います。そして、その報告書の上に立って、先の大戦への道のり、20世紀という時代を振り返りながら、その教訓を胸に刻んで、日本がどのような国を作り上げていくべきか、戦後70年の大きな節目にあたって、談話として取りまとめたものであります。
そのうえで、これからも果たして聞き漏らした声があるのではないか、ほかにもあるのではないかと、常に謙虚に歴史の声に耳を傾け、未来への知恵を学んでいく、そうした姿勢を持ち続けていきたいと考えています。


Q:今回の談話には「未来の子どもたちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」とある一方で、「世代を超えて過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」と書かれています。ドイツのワイツゼッカー大統領の有名な演説の「歴史から目をそらさないという一方で、みずからが手を下してはいない行為について、みずからの罪を告白することはできない」と述べたのに通じるものがあると思うのですが、総理の考えをお聞かせください。


A:戦後から70年が経過しました。あの戦争には、何ら関わりのない、私たちの子や孫、その先の世代、未来の子どもたちが、謝罪を続けなければいけないような状況そうした宿命を背負わせてはならない。これは、今を生きる私たちの世代の責任であると考えました。その思いを、談話の中にも盛り込んだところであります。


しかし、それでも、なお、私たち日本人は世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければならないと考えます。まずは、何よりも、あの戦争のあと、敵であった日本に善意や支援の手を差し伸べ、国際社会に導いてくれた国々、その寛容な心に対して、感謝すべきであり、その感謝の気持ちは、世代を超えて忘れてはならないと考えています。同時に過去を反省すべきであります。歴史の教訓を、深く胸に刻み、よりよい未来を切り開いていく、アジア、そして、世界の平和と繁栄に力を尽くす、その大きな責任があると思っています。そうした思いについても、合わせて今回の談話に盛り込んだところであります。


Q:ことし中に中国に訪問して習近平国家主席と3回目の首脳会談を行う可能性が高くなると思いますか。今のタイミングは、中国の経済後退が懸念されているところだが、その中での談話のインパクトが薄れる可能性があると思いますでしょうか。


A:中国の皆さんには、戦後70年にあたってのわが国の率直な気持ちをありのまま受け止めていただきたいと願っています。中国とは、習近平国家主席との2度にわたる首脳会談を通じて戦略的互恵関係の考え方に基づいて、関係を改善していくことで一致しています。日本と中国は、地域の平和と繁栄に対して、大きな責任を共有しています。両国の経済関係は非常に密接であり、今後もさまざまなレベルで対話を重ねながら、安定的な友好関係を発展させ、国際社会の期待に応えていきたいと思っておりますし、首脳会談についても、機会があれば、そういう機会を生かしていきたいと考えております。日本の対話のドアは常にオープンであります。


Q:談話を踏まえ、安全保障関連法案についてお聞きします。改めて、法案に関します識者などのご発言を見ていきますと、その中の1つに、軍事を巡る中国の動向を、脅威と見るか見ないかで、安保法案に対するで賛否が分かれるといった傾向が見られます。こうした考えの隔たりは、国民も見ていると思うのですが、日本の安全保障上、このような大きな認識の違いをどうご覧になっているのでしょうか?


A:70年前、私たち日本人は、二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという不戦の誓いを立てました。この不戦の誓いは今後も決して変わることはありません。今回の平和安全法制は、戦争を未然に防ぐためのものであります。まずもって外交を通じて平和を守る、このことが重要であることは言うまでもないと思います。今後とも積極的な平和外交を展開してまいります。そのうえで、万が一への備えも怠ってはなりません。この法案は、国民の命、平和な暮らしを守り抜いていくためのものであります。もちろん、特定の国を想定したものではありません。今回の法制によって、日本が危険にさらされたときには、日米同盟が完全に機能する、このことを世界に発信することによって、紛争を未然に防ぐ力はさらに強くなっていく、高まっていく、日本が攻撃を受ける可能性はより低くなっていくというふうに考えています。国民の皆さまのご意見、ご批判にも真摯(しんし)に耳を傾けながら、この大切、必要な法制について、理解が深まるように今後も努力を重ねていく考えであります。


Q:歴史認識の問題など国民の間でも意見が分かれている部分があると思いますが、そういうなかで、この談話、あえて総理が込められた国民への思いとか、国民にどう受け取って欲しいかというメッセージはどういうところなんでしょうか。


A:まず、今回の談話においては、より多くの皆さまにご賛同していただけるものを作成していきたいとこのように考えました。そのうえにおいて、アジアの国々をはじめ多くの国々と共に、未来への夢を紡ぎ出していく、そういう基盤にしていきたいと考えたところであります。


今回の談話を作成するにあたりまして、国策を誤り、といった抽象的な用語に終わらせることなく、どのように針路を誤ったか、歴史の教訓を具体的にくみ取らなければならないと考えました。そして、「21世紀構想懇談会」を設けて、有識者の皆さんにその具体的な作業をお願いしたわけであります。世界に目を向ければ、残念ながら、いまだ紛争は絶えません。ウクライナ南シナ海東シナ海など世界のどこであろうとも、力による現状変更の試みは決して許すことはできない。また、貧困やテロの問題は深刻さを増している現実があります。そうした時代にあって、70年前の歴史から学べる教訓を発信していくことは、日本1国のみならず、世界に対しても大きな現代的な意義を持つと考えています。

戦後70年談話 各党の反応 NHKニュース

生活の党と山本太郎となかまたちの小沢代表は盛岡市で記者団に対し、「今まで日本は何度も謝罪してきたので、これ以上謝罪する必要はないと言わんばかりの文言だと思う。自分の本音を隠して取り繕おうという表現で、ことばの端々に戦前の日本を肯定するたぐいの表現が見られる。私には納得がいかない」と述べました。

徳永みちお

安倍総理は4つのキーワードを使ったが、中でも注目したいのが『悔悟の念』という言葉です。安倍総理大臣は悔悟という表現を使いより強い反省の意を示し…」と安倍談話を絶賛援護する岩田明子さん。悔悟の念がキーワードだって?噴飯解説。

やきとり

デモクラTVなう。安倍談話、当の官邸HPより早く産経ウェブに全文がアップされてただけで驚きだけど、なんと産経は「紙」で号外出してたってYO!

徳永みちお

「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と直接の加害者であるA級戦犯の孫で総理大臣の安倍さんが、他人ごとのような70年談話を閣議決定し、自らの謝罪を避けて逃げ、次の世代に謝罪を付け回した件。

世に倦む日日

今日の安倍晋三の「談話」に対する村山冨市の批判、当を得ていて本質を衝いている。このとおりだ。http://bit.ly/1PcC6c9  村山富市、91歳なのに20年前よりシャキッとしていて政治家として迫力ありますね。老いぼれていない。もう一回首相できるんじゃないか。

村山元首相、安倍談話を批判 「引き継がれた印象ない」 (朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

 安倍晋三首相が発表した戦後70年の談話(安倍談話)について、1995年に首相談話を出した村山富市元首相(91)は14日夜、地元の大分市内で記者会見し、自身の談話が「引き継がれた印象はない」との認識を示した。


 戦後50年の村山談話について、安倍首相は「全体として引き継ぐ」と説明してきた。村山氏は会見で、安倍談話について「(村山談話を)否定もしていないし、踏襲もしていない。出す必要はなかった」と指摘。「焦点がぼけて、さっぱり何を言いたかったのか分からない」と切って捨てた。


 安倍談話の「おわび」をめぐる表現については、村山氏は「何をおわびしたのか不明確だ」と批判。「『植民地支配』『侵略』『おわび』という言葉は入っているが、日本がやってきたことに対して不明確だ」と不満を漏らし、「『植民地支配』とか『侵略』という村山談話のキーワードを薄めたい、という気持ちだったのだろう」と語った。


 また、安倍首相が談話の最後に自身が唱える「積極的平和主義」を盛り込んだことについては、「中身の説明をしていない。イメージがさっぱり分からない」と話した。


 中国、韓国などアジア諸国の受け止め方については「受け入れる国と疑問を呈する国、いろいろあると思う」。そのうえで、「村山談話とはだいぶ中身が違うな、という印象は与えると思う」と話した。

世に倦む日日

安倍晋三の談話に対する朝日の社説が痛烈で素晴らしい。http://bit.ly/1N8vmyo 簡潔ながら過不足ない批判。朝日の社説を褒めるのは久しぶり。この社説の意味が大きいのは、韓国と中国の政府が正式論評を出すに当たって必ず参照するからだ。日本国内での評価の基準として。

(社説)戦後70年の安倍談話―何のために出したのか:朝日新聞デジタル

 いったい何のための、誰のための談話なのか。


 安倍首相の談話は、戦後70年の歴史総括として、極めて不十分な内容だった。


 侵略や植民地支配。反省とおわび。安倍談話には確かに、国際的にも注目されたいくつかのキーワードは盛り込まれた。


 しかし、日本が侵略し、植民地支配をしたという主語はぼかされた。反省やおわびは歴代内閣が表明したとして間接的に触れられた。


 この談話は出す必要がなかった。いや、出すべきではなかった。改めて強くそう思う。


■「村山」以前に後退


 談話全体を通じて感じられるのは、自らや支持者の歴史観と、事実の重みとの折り合いに苦心した妥協の産物であるということだ。


 日本政府の歴史認識として定着してきた戦後50年の村山談話の最大の特徴は、かつての日本の行為を侵略だと認め、その反省とアジアの諸国民へのおわびを、率直に語ったことだ。


 一方、安倍談話で侵略に言及したのは次のくだりだ。


 「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない」


 それ自体、もちろん間違いではない。しかし、首相自身が引き継ぐという村山談話の内容から明らかに後退している。


 日本の大陸への侵略については、首相の私的懇談会も報告書に明記していた。侵略とは言わなくても「侵略的事実を否定できない」などと認めてきた村山談話以前の自民党首相の表現からも後退している。


 おわびについても同様だ。


 首相は「私たちの子や孫に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と述べた。


 確かに、国民の中にはいつまでわび続ければよいのかという感情がある。他方、中国や韓国が謝罪を求め続けることにもわけがある。


 政府として反省や謝罪を示しても、閣僚らがそれを疑わせる発言を繰り返す。靖国神社に首相らが参拝する。信頼を損ねる原因を日本から作ってきた。


■目を疑う迷走ぶり


 謝罪を続けたくないなら、国際社会から偏った歴史認識をもっていると疑われている安倍氏がここで潔く謝罪し、国民とアジア諸国民との間に横たわる負の連鎖を断ち切る――。こんな決断はできなかったのか。


 それにしても、談話発表に至る過程で見せつけられたのは、目を疑うような政権の二転三転ぶりだった。


 安倍氏は首相に再登板した直後から「21世紀にふさわしい未来志向の談話を発表したい」と表明。村山談話歴史認識を塗り替える狙いを示唆してきた。


 そんな首相の姿勢に中国や韓国だけでなく、米国も懸念を深め、首相はいったんは閣議決定せずに個人的談話の色彩を強めることに傾く。


 それでは公式な政府見解にならないと反発した首相側近や、公明党からも異論が出て、再び閣議決定する方針に。節目の談話の扱いに全くふさわしくない悲惨な迷走ぶりである。


 この間、国内のみならず欧米の学者も過ちの「偏見なき清算」を呼びかけた。世論調査でも過半数が「侵略」などを盛り込むべきだとの民意を示した。


 そもそも閣議決定をしようがしまいが、首相の談話が「個人的な談話」で済むはずがない。日本国民の総意を踏まえた歴史認識だと国際社会で受け取られることは避けられない。


 それを私物化しようとした迷走の果てに、侵略の責任も、おわびの意思もあいまいな談話を出す体たらくである。


■政治の本末転倒


 国会での数の力を背景に強引に押し通そうとしても、多くの国民と国際社会が共有している当たり前の歴史認識を覆す無理が通るはずがない。


 首相は未来志向を強調してきたが、現在と未来をより良く生きるためには過去のけじめは欠かせない。その意味で、解決が迫られているのに、いまだ残された問題はまだまだある。


 最たるものは靖国神社戦没者追悼の問題である。安倍首相が13年末以来参拝していないため外交的な摩擦は落ち着いているが、首相が再び参拝すれば、たちまち再燃する。それなのに、この問題に何らかの解決策を見いだそうという政治の動きは極めて乏しい。


 慰安婦問題は解決に向けた政治的合意が得られず、国交がない北朝鮮による拉致問題も進展しない。ロシアとの北方領土問題も暗礁に乗り上げている。


 出す必要のない談話に労力を費やしたあげく、戦争の惨禍を体験した日本国民や近隣諸国民が高齢化するなかで解決が急がれる問題は足踏みが続く。


 いったい何のための、誰のための政治なのか。本末転倒も極まれりである。


 その責めは、首相自身が負わねばならない。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150814#1439548589(物に本末あり、事に終始あり)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150814#1439548595
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150813#1439462375(未来志向@昭和天皇
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150811#1439289591(未来志向@田中角栄


「戦後70年談話」で妥協しても何の痛痒も感じず⁉ 安倍晋三の浅く軽薄な思想は戦前の軍部そっくりだった|LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

 また、安倍首相は今回、「おわび」「侵略」を盛り込む代わりに「積極的平和主義」を強く打ち出した。これはつまり、歴史修正主義者の正体を隠して、対米追従路線を鮮明にしたということだろう。

 なんともゲンキンな話だが、しかし、これが安倍晋三という政治家の本質だ。たいして深い考えもないまま勇ましい言葉を口走り、周囲がいかに論理的に説得をこころみても耳を傾けようとしない。ところが、自分に立場が危うくなったり、もっと強い圧力に直面すると、平気で態度を一変。今度は二枚舌を駆使してまったくちがうこといいはじめる。

 こうした安倍首相の姿勢について、まさしく昭和10年代の軍事指導者に酷似していると指摘するのが、昭和史研究の第一人者、保阪正康氏だ。近著『安倍首相の「歴史観」を問う』(講談社)で仔細に分析している。


 たとえば、安保関連法案に関する安倍首相の答弁はふたつの論理を盾に進められていると保阪氏は言う。


〈そのひとつは、「国民の生命と財産を守るのが首相である私の役目」、もうひとつが「国家の安全を揺るがすか否かは首相の判断」という点である。ことごとく「私が中心」という発想である。首相が中心になることにより、行政府の責任者が統帥権を自在にふるえるといった錯誤がこれらに二つの論理の背景には見え隠れしている〉(同書より。以下同)


〈安倍首相の発言を聞いているとわかるが、実はこの首相は相手方の質問や疑問に真正面から答えるのではなく、相手の言葉尻をとらえて開き直り、その一方で「問題を整理すると」とか「一般に」といった言い方で、論議そのものを避けているのが特徴だ。いわば相手に丁寧に説明しようとする姿勢がまったくないのである〉


 こうした態度は戦前の陸軍の軍事指導部の幕僚たちがたとえば国家総動員法などの審議のときに見せた開き直りとソックリだという。このときも、在留邦人の保護や石油資源の供給が不安定な状態から脱するための自存自衛の策だという言葉が連発された。そのことに国会議員が疑問を口にすると、軍人は「黙れ!」と怒鳴った。つい最近、まさに安保法案の国会審議の現場であったような場面が、戦前にもそのまま行われていたという話である。


 昭和10年代の軍人の議会答弁には3つの特徴があると保阪氏は言う。


 ひとつは、具体的な説明にはかならず大仰な形容句がつく。「皇国二千六百年、戦って負けたことのない皇軍は…」、あるいは「在留邦人の安全と生命を守るのが軍人の役目」「大御心を体して」などの語を乱発して、相手の質問にまともに答えない。これは、「日本を取り巻く安全保障環境は激変し、もはや一国で平和は守れない」とか、「積極的平和主義」「日本を取り戻す」「美しい国」といった麗句や結論を先に口にするのと同根だという。


 第二は、まともな立論がされていないので、その説明が5分と持たない。東條英機が首相、陸相として答弁に立ち、「戦争が終わったとき」というのはどういうときか、と戦時時限立法について尋ねられると、法律上の答弁をしなければいけないのに、「平和が回復したとき」と答えたことなどがその典型だという。安倍首相や中谷防衛相の答弁を聞く限りでも、まともな立論ができているとは思えないし、自民党が安保法案の説明のためにつくったアニメ「教えてヒゲの隊長」がパロディ版であっという間に論破されているのもそのためだ。


 そして、三番目の特徴は、軍人は軍事に偏った知識しか身につけておらず、社会科学、人文科学といった分野はまったくダメだったということだ。言葉に歴史的背景や哲学的意味合いが込められていない。安倍首相の「憲法占領憲法、押しつけ憲法だ」「靖国神社アメリカ国民にとってのアーリントン墓地と同じです」などといった言い方がこれにあたる。


 保阪氏はこれを「形容句」「立論不足」「耳学問」と言っている。安倍首相の答弁の枠組みは、当時の軍事指導者のそれそのものだとも。なかでもひどいのが耳学問」による半可通の歴史観だ。なにより事実に基づき歴史を記録することを旨としている保阪氏からすると、これは耐え難い歴史への冒涜だという。


安倍首相の歴史観はもともとかなりあやふやな論にもとづいている。すでにメディアにも紹介されているのだが、たとえば「侵略には学問上の定義はない」と言ってみたり、「首相として国のために生命を捨てた人を追悼するのはあたりまえ」と開き直ったり、はては平気で「わが軍は…」と弁じたりもする。はなはだしい例では、アメリカは原爆投下したあとに、さあこれを受け入れろと言ってポツダム宣言をわれわれの国に押し付けた、など歴史的事実の基本をまったく理解していない発言を平然と行ったりもしている〉


〈首相の歴史観を耳にしていると、戦後民主主義をどのように捉えているのだろうかと疑問を覚える。保守でも革新でもいいが、例えば自民党の先達たちがいかに呻吟しながら戦後社会を作り上げてきたか、それを思う知的関心、畏敬の念を示す礼節、さらには先達の歩んだ道を点検しつつ教訓を汲み取っていく姿勢、それらに欠けているといっていいのではないか〉


〈ここで私は、現憲法を作成するために当時の政治指導者がどのような努力を払ったか、単に占領憲法というだけでは彼らを侮辱していないかと指摘しておきたい〉


 安倍政権ほど、かつて自民党の重鎮とも呼ばれた先輩OBたちから批判されている政権はないのではないか。


 こうした歴史観の欠如や立論不足から、国会での審議がかつて例のないほどまったく論戦の体をなさないまま、惨憺たる状況で続いているというのである。特定秘密保護法については「とにかく国の秘密は守らなければならない」、安保法案については「とにかく日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増しているのだからやらなければならない」と、プロセスや道程をすっ飛ばして、結論のみが声高に語られるのが、この政権の、そしてこの安倍首相の特徴なのだ。


 基本的な勉強ができていない。そのうえ理念も信念もない。支持者や周囲に言われただけで、すぐに前言を翻す。そんな政治家がリーダーとして戦後日本が伝統的に守ってきた安全保障政策を根底から覆そうとしていることの恐ろしさを、我々もいま一度、しっかり認識する必要がありそうだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150812#1439375661
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150811#1439289583
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150811#1439289587
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150530#1432982292
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131205#1386240307


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