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「私大文系」入試がマニュアル人間を生み出す!?――鈴木寛×津田久資対談【第2回】|あの人はなぜ、東大卒に勝てるのか|ダイヤモンド・オンライン

【津田】大学入試がダメというのは具体的には?


【鈴木】もちろん全部が全部ダメというわけではないですよ。たとえば東大の「国語」とか「世界史」「日本史」「政経」、あと京大の「数学」、このあたりの入試問題はすばらしいですよ。これは世界に出しても恥ずかしくない水準で、海外の入試問題にまったく引けを取りません。


【津田】なるほど。ただ、いくら問題がすばらしくても、受験生側が本当に「考えて」解いているのか、それとも傾向と対策を「学んで」いるだけなのかは、かなり怪しいと僕は思っていますが。


【鈴木】そういう側面はあると思います。でも、もっと問題なのは……「私大文系」なんです。


もちろんここで言う「私大文系」というのは、津田さんの本で言う「東大卒」と同じでシンボリックな表現でしかありませんが、とにかくマニアックな知識を問う難問・奇問を出す大学がかなり多い傾向にあるのは事実です。しかも、そういう大学ほど受験者数が多かったりするから、影響力が大きいんですよ。


「世界史」とか「日本史」の試験を見ても、山川の『用語集』の脚注にしか書いていないようなことが出題されている。こういう試験のためにの勉強をしようとすると、どうしても単なる知識の詰め込みになるし、膨大な時間を奪われてしまうんです。


【津田】どうしてそんなことになってしまうんですか?


【鈴木】それはシンプルで「落とすための試験」だからですよ。つまり、みんなが満点をとってしまうと困るから、「差」をつけないといけない。だから一部の学生しか答えられないような難問・奇問を入れざるを得なくなる、と。

【鈴木】ただ、その犠牲になっているのは、学生たちですよ。そういう試験を出す大学を受けるかどうかで、受験生時代の勉強法が決定的に違ってくるんです。ここで詰め込み式の勉強に時間を奪われるのは本当にもったいない。覚えることが多すぎて歴史が嫌いになる人って、かなりいるんじゃないかな。


僕が灘高時代に「世界史」を習った誉田先生は「年号なんて覚えなくていい。東大は論述なので年号を忘れたら『18世紀半ば』とかかいておけばいい」とよく言っていました。「ただ、歴史というのは『Aという事件がBを引き起こして、Cという事件が起きる』というつながりなので、順番とか流れはつかんでないとあかん」と言われていましたね。


だから私はいまでも世界史が大好きなんですよ。歴史そのものを暗記ものだと思っていないですから。

もう10年以上も前ですが、大学時代の恩師が東大法学部長時代に憂いていました。


「本来、裁判官というのは『これまでにない問題』に対してきわめて洗練された答えを出す仕事であり、それが判決というものなんだ。だから昔の裁判官は、本当に考えて考えて考え抜いて判決文を書いていた。
しかし、昨今の裁判官は、過去の判例からパターン的に判決を導いているような風潮がある。これをなんとか変えないとまずいことになる。法科大学院では『徹底的に考える法曹』を育てたい」と。

【津田】今の話で思い出したんですが、東大法学部の先輩で、昭和50年代に大蔵省にトップで入ったものすごい秀才がいました。
彼は司法試験もトップの成績で通ったんですが、試験のあとにどんな答案だったのかを、みんなの前で再現してみせてくれたんですよ。


それを見せてもらった同級生たちは、あっと驚いてしまった。なぜかというと、彼が答案中で引き合いに出している判例にはけっこう間違いがあったんです。


【鈴木】つまり、暗記に関してはかなりあやふやだったと(笑)。


【津田】そうなんです。しかし、答案そのものはとにかく徹底的に考えて書かれているので、論理性が非常に高い。だから知識が間違っていても、司法試験でトップになれたというわけなんですね。


当時の東大では、司法試験をいかに効率的にクリアするかという風潮があったんですが、彼の答案を見たことで「そうか、日本の法曹界が望んでいるのはこういう頭脳なんだ」とみんなの認識がガラッと変わりました。だから、その再現答案を見せてもらった人たちは、みんな翌年の司法試験に受かったそうです。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20151223#1450866998
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