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「田中角栄を葬ったのは誰か」(「月刊日本」)出版記念シンポジューム。著者の平野貞夫や小沢一郎等が結集。7/26、午後5:30〜。憲政記念館。無料。 - 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』

田中角栄事件」と「小沢一郎事件」、そして、今、現在、進行中の「鳥越俊太郎事件」。そこに共通するものは何か?私見によれば、それは、メディアの「権力の走狗化」という問題である。田中角栄にしろ、小沢一郎にしろ、「既成権力」側が、これは危険だと妄想し、メディアとも結託して葬ったのであるが、問題は、やはり、新聞、テレビ、月刊雑誌、週刊誌などのメディアや、これまた権力の走狗化した御用文化人である。既成メディアの地盤沈下は激しい。本が売れない、新聞が売れない、テレビは見ない。日本中が、あるいは世界中が、新聞やテレビや本・・・を見捨てて、ネットやスマホに夢中になっている。そういうコンテンツの問題を抜きにしても、既成メディアは、すでに終わっている。メディアの自殺行為ともとれる「メディアの権力の走狗化」という問題が顕在化したのは、「田中角栄事件」であろう。「痴の虚人=立花隆」を筆頭に、ほぼすべてのメディアと御用文化人が、「メディア・スクラム」を組んで、「田中角栄潰し」のドラマに熱狂した。それが、「田中角栄事件」であり、「小沢一郎事件」であった。もちろん、彼らの背後に、何者かがいただろうことは、否定のしようがない。しかし、私は、やはり、問題は、メディアと文化人の「権力の走狗化」(自民党のパシリ化)であると思う。かつての保守文化人は、たとえば、江藤淳小林秀雄福田恆存、田中美知太郎・・・等は、権力の走狗ではなかった。植民地主義政党と成り下がった自民党を批判するのが、保守文化人であった。しかし、「田中角栄事件」後、ほぼすべての保守文化人は「権力の走狗」となり、自民党の顔色を伺うと「御用文化人」に成り下がった。そしてその結果、 今、ふたたび、三たび、「鳥越俊太郎事件」が進行中である。

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