明日公開の「国大協大学改革シンポジウム」念頭の原稿に、編集部から「傑出した人物を作るのに東大、京大は無用」というこれまたスパイシーなタイトル^^;いや全くもってその通りでハーバードもオックスブリッジも無用ファラデーをご覧なさいデービーもジェームズ・ワットもどこで学んだか?という話
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2016年9月8日
ベートーヴェンがどこの音大を出ましたか? モーツァルトやバッハの名を冠した学校はあっても、彼ら自身は家族徒弟制度の中で学んで骨の芯から叩き上げになったのだから、というのと同じお話。18歳では遅すぎる。12,3歳のまだ髭も生えない、声変わりもしてない柔かいのが叩き上げの本物になる筋
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2016年9月8日
ってかね、学校に入るのは確かに意味のあることでもあるけれど、学校で習って初めて知るとかって、実は適性がないという証明にすぎないんですよね。学校というのは、そんなものに通わなくても十分やって行ける人にとってのみ、ほんの少しだけ利用価値があるもの、と誰かが言っていたけど、その通り。
— Ken ITO 伊東 乾 (@itokenstein) 2016年9月8日