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 浅野が前回御馳走役を務めた18年前と今回の間に、幕府は「元禄の改鋳」を実施していた。1600年代終盤の幕府の財政は逼迫し、将軍就任時に日光参拝すらできなかった5代将軍徳川綱吉は、「予は将軍であるのに、たった2、3日の旅もできないのか」と泣いたという。そこに勘定奉行の荻原重秀が登場する。


 彼の発案の下、1695年に小判の金の含有量を56%も落として、その分の利益(出目)を狙う「元禄の改鋳」が実施される。荻原は「貨幣は国家が造るものだ。たとえカワラや石ころで代用してもその日から流通させることができる」と確信していたそうだ。


 当時としては先進的な考え方だったが、改鋳による政府支出拡大とマネーサプライ急増、そして「国家」の信用低下によって、物価は急騰した。


 しかし、浅野は通貨価値が大幅に下落していることをよく知らず、接待予算は700両で十分と主張して吉良と衝突してしまったのである。他方、吉良は賄賂をたびたび受け取っていたので、小判の価値に敏感だったらしい。


 こうして見ると「忠臣蔵」は、貨幣経済に大きくシフトしつつあった経済環境の急変に翻弄された、実直なお殿さまの悲劇と解釈することもできる。前掲書によると井原西鶴は、元禄時代は「銀(かね)が銀(かね)もうけする世」だと言った。経済格差が意識され始めたのも元禄時代だという。


 ちなみに、4代将軍徳川家綱の時代にも幕府は通貨改鋳に傾きかけたことがあった。しかし、その際は老中の土屋政直が、通貨改鋳は「邪(よこしま)な政策」だと批判して阻止した。禁じ手に幕府が頼ると財政規律だけでなく、世の中の経済モラルが多々壊れていく可能性があると恐れたのだろう。


 翻って、現在の日本銀行は大量に国債を買いながら、10年国債金利をゼロ%近辺に誘導し、インフレ率が上昇するのをじっと待つ戦略を採用している。多くの国債をマイナス金利で発行できる環境が長く続くため、財政規律などが緩む恐れはないか注意が必要である。

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