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松本 私にとってラッキーだったのは、伊藤忠に入社して14年目に、当時赤字だった子会社の医療機器専門商社、センチュリーメディカルに出向したことだったと思います。社内のナンバー5くらいのポジションでしたが、実質的にナンバー2として営業の全てを任せられるという機会を得ました。本社にいたらそんな自由度はとてもなかった。


――出向は喜んで行かれたそうですね。


松本 はい、もう喜んで(笑)。ところが、業績を立て直したのに、5年経ち、6年目になっても本社から呼び戻されない。それで、会社を辞めようと思いました。45歳の時です。自分が世の中でどれだけ通用するか試してみたかった、というのを最初から考えていたこともありました。


――なるほど、それで、J&Jに入られたのですね。医療機器を前職で扱われていたから馴染みがあったのでしょうか。


松本 それもありますが、なによりJ&Jの広報活動が一流だと思ったからです。

――そのカルビーを見事に高収益企業へと変革されましたが、成功の理由はどのようなものだと自己分析していますか?


松本 先ほども言いましたが、やさしいことをやさしくやっている、ということです。正しいことを正しくやっている、と言ってもいいでしょう。


 やるべきことは明らかでしたから、最初の一手は簡単です。ゆっくり社員のみなさんのレベルが上がって来るのを待ちます。しかし、業績が良くなると、その後は油断します。だから、最初に始めたことを続けるのが難しくなる。


 だから、そこでまたフンドシを締め直すのです。そういう「会社が良くなる仕組み作り」をしています。頭は使っていますが、そんなに時間は使っていませんよ。

 これだけの成果を挙げて、周囲やマスコミからも持ち上げられているにもかかわらず、一切それに与せず、自身の役割を認識し、毅然としているところに、やはりプロ意識を感じる。これが、生え抜き経営者との決定的な違いである。


 松本会長も、これまでに連載に登場してもらった多くのプロ経営者同様に、やはり30代に子会社に出向して、経営を行うチャンスが転機となっている。それが、40代で外資系の経営者となり、そこから60代となって請われて経営者として招かれることに繋がっているのだ。


考え方も、行動も、出てくる言葉も極めてシンプルなのが印象的だ。しかし、そのシンプルに落とし込む前に、とことん考えている。だからこそ、整理され尽くされ、シンプルなのだ。

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