https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com


 いわゆる“ランクの高い”日本の4年制大学で私は15年間学生たちを教えてきたが、「刑事と民事はどう違うか」、「憲法と普通の立法はどう違うか」といった基礎的な問いを投げかけたとき、学生たちから何の反応もないことに、もはや衝撃を受けることはなくなった。


 思うに最上級の大学に入学するということは、平均以上の知識や勉強のスキル(少なくとも試験に合格するためのスキル)を身につけているということだ。大学3年生、あるいは4年生までには、刑法、種々の民法、そして憲法の授業をすでに履修しているにもかかわらず、法制度はどのように機能しているのかという最も基礎的な質問に、なぜ彼らはあんなにも困ってしまうのだろう。


 この問題を考えるとき、私はよく「群盲象を評す」というヒンドゥー教のたとえ話を思い出す。

 私がハーバード・ロースクールの1年生だったのは40年も前のことだが、私も他の学生たちも、日本の法学部の学生たちとは違い、Contracts(契約法)、Torts(不法行為法)、Property(財産法)、Criminal Law(刑事法)といった1年次の必修基礎科目は、コモン・ローという大きな枠組みの中ですべて相互に関連していることにすぐに気づかされた。日本の大学の法学部と違って、アメリカのロースクールは、学生たちと教授陣が互いの専門分野を超えて議論をする活気に満ちた知的な舞台なのである。良いアメリカのロースクールを卒業した人は、“Contracts”や細々とした法規を集めた自給自足的なその他の法律を学ぶのではなく、個々の法律の科目や分野を超えた知識、スキル、そしてツールにあてはめていくことで、法律の問題をどのように分析、議論し、そして解決に導くのかを学ぶのである。


 多くのアメリカのロースクールの学生たちは卒業までに“弁護士のように考える”ことを学ぶ。他方、日本の大学の法学部の卒業生たちは果たしてそれを学んでいるのだろうか。 “弁護士のように考える”ことが実際のところ何を意味しているのか、そもそも教授たちがわからないのである。一部の例外を除いて先生たちは実社会で弁護士業務の経験がないのである。日本の大学の法学部の募集要項やウェブサイトにはよく“リーガル・マインド”を鍛える、と書かれているが、日本の現実の法律の教育に詳しい人たちは、この主張が誇張であることを認めている。


 私はコーポレート・ローヤーとしてもう1足のわらじを履いているが、クライアントのためにより良い仕事をする際には、実際の諸問題を解決するための総合的なアプローチが求められる。現実社会における複雑な論争や取引は、個々の法規にあてはめることだけでは解決できないのだ。良い弁護士はまずジェネラリストでなければならない。患者と向き合ったときに、患者の体のひとつの臓器、あるいは体の一部分だけを見るのでなく全体を見ることのできるのが良いドクターであるのと同じように、である。すべては相互に関連している。


 豊かな教養人は全てがつながっていることを理解し、予期せぬつながりを見つけることに喜びを感じさえする。この基準で考えると、日本の法学部の教授は学生たちに、豊かな教育を授けたとは言えないだろう。これからの法学部の学生たち、そして彼らのご両親は、日本の大学で法学を専攻することの知的な面での価値、そしてキャリアを考える上での価値について注意深く考えた方がよいのではないか。これは私からの切実なアドバイスだ。私が教える学生たちの多くは、大学での授業が退屈で授業を通して学んだことをほとんど覚えていないとためらうことなく認めている。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170623#1498214630
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170623#1498214631
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170623#1498214632

#勉強法

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170514#1494758821ソロモン・ブラザーズ