法律の学習は、部分部分を順に正確に理解していくという形では進み得ないと思う。理解が充分でなくてもとりあえず範囲の最後までやり、全体をぼんやり理解した状態で二周目に入ると今度は一周目よりも少し明瞭にわかる。この繰り返しで理解の彩度が漸増してゆくというのが法律学の理解のプロセスかと。
— ystk (@lawkus) 2017年7月3日
ところで法律は体系的なものだが、体系的学習といっても体系それ自体を学習する方法があるわけではない。個別の知識を入れていったときに頭の中でそれらが結びついて体系的知識となるか否かは、ぶっちゃけ個々人の頭の性能に依存している部分が大きいことは否めない気がする。
— ystk (@lawkus) 2017年7月3日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170702#1498991655
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170701#1498906265
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20131206#1386326452(相対世界)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080107#1199945158(善悪が相対的区分だといふことは、同時に善悪を統一する根本原理を示現してをり)
#勉強法
今日われわれが教えているように、まず社会があり社会生活があっての法律である、というような考え方は役人にとって禁物である。よき役人はよろしく概念法学流に法規を材料としてなるべく簡単に取り扱えるような概念的範疇を用意すべきである。「役人学三則」
— 末弘厳太郎bot (@BotGanchan) 2017年7月2日