今日、書店に並ぶようです♪4年前の初版時とがらっと変わりました。初版をお持ちの方も東ロボくんの成長を比較してみてくださいね。>改訂新版 ロボットは東大に入れるか 新井 紀子(著) - 新曜社 | 版元ドットコム https://t.co/2srzHEZJVY @hanmotocomさんから
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2018年5月4日
4月23日機械体制(=旧体制)が敗北宣言した。
既に宇宙は不可逆的に反転を始めていたが、抵抗を諦めた。
#AI#シンギュラリティー
ところで私は東ロボくんに教え込むために各社の教科書を取り寄せる段になって初めて、例えば東京書籍の同じ科目の教科書に3種類以上あることを知った。高い偏差値向け、普通向け、それ以外向けというように。そして大学入試は当然「高い偏差値向け」の欄外記述まで前提として出題される。
— 新井紀子/ Noriko Arai (@noricoco) 2018年5月4日
この人の意見には違和感があったのだけど、偏差値を絶対視しているからかも知れない。
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180419#1524134802
予備校講師としての僕の仕事は生徒を大学に合格させることです。
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
でも,大学に入ってから役に立たないような底の浅い授業はしていない自負はあります。物理学の学習と物理の受験勉強はまったく別物だと伝えているつもりです。 https://t.co/1emdAlZHlW
僕は受験勉強が役に立たないとはまったく考えていません。受験勉強も正しい勉強を行えば,そこで修得した学び方は何を学ぶのにも役立ちます。僕が教えているのは(教えたいのは),科目の具体的な内容ではなく,学び方です。 https://t.co/wV2knXf6Dc
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180504#1525430130
世間で言う「考える」ということには2つの意味があり,それを使い分けていると既にツイートに書いています。僕は一方は否定していますが,一方は推奨しています。 https://t.co/oSPxw00jJj
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180504#1525430115
僕は「覚えるな」とも指導しています。 https://t.co/NDTvmEVBS7
— 吉田弘幸 (@y__hiroyuki) 2018年5月4日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140902#1409654998(しかし、その前に、民法に限らず、すべて法律を学ぶときに心得ておかなければならないことをひと通り説明しておく必要がある。それは、しかし、極めて簡単なことである。法律を学ぶには、暗記してはだめだ、理解しなければならない、というだけのことである。)
講義で習ったことを体系化して吸収しようとせずに、うろ覚えで答案書くからめちゃくちゃなものしか書けないということに気づいてほしいんだけどね、学生さんたちには。
— Masahiro Yamada (@myamadakg) 2018年5月4日
この年まで大学教員やってて何アホなこと言ってるんだと思われるかもしれないが、実は私は「体系的に学ぶ」とか「体系化して理解する」の意味がよくわかっていない。体系ってなんだ?誰が作るんだ?「体系的に学ばないと理解できない」というのは正しいのか? https://t.co/GyquHMhXX1
— 足柄(アホ毛立ってます) (@asigaranyanko) 2018年5月4日
「有機的に関連している」という表現もよくわかっていなかったのだが、20年かけてなんとなくこれかなーというところまで到達した。しかし最近じゃこの表現あまり使わないよねw まあ、流行の表現はあるものだ。
— 足柄(アホ毛立ってます) (@asigaranyanko) 2018年5月4日
物事を階層的に理解する、あるいは因果関係で理解する等々ということではないですかね。時間的・空間的に物事を配置する能力といいましょうか。あるいはマインドマッピングができているということ。
— F Hiroyuki (@fjhiro3) 2018年5月5日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180503#1525343858(「形而上学は、純粋理性にもとづく哲学的認識が、体系的連関という形をとったものである」)
そういう意味では自分に身近な人間行動を対象にする心理学や社会学に比べて、政治学はハンデがあるというか、教えるのに一工夫いる。具体的な例示ネタはどんどん古くなるし、つらたん。 https://t.co/sbDOjYvAEf
— Masahiro Yamada (@myamadakg) 2018年5月4日
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170614#1497436585(大昔の聖人達の言葉というものは、『論語』の「子張(しちょう)第十九」の「切問近思(せつもんきんし)」という言葉の通り、今の時代の私たちの身の回りに照らして考えたり、日々の生活の反省をその聖人達の言葉を元に行ったりすることで、今の時代に合った活きた道理として理解出来て来る、それが心を安らかにする元となる、ということです。)