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 神戸で洋菓子製造業が発展した背景について、甲南大の加護野忠男特別客員教授は、欧亜航路の終点で製菓材料の入手が容易だった▽阪神間に裕福で先進的な消費者が多かった−−と指摘する。そのうえで「亡命ロシア人たちが来なければ、製菓業は興らなかっただろう」と評価した。

 一方、宝塚歌劇団の歴史をたどると、1920年代から30年代にかけてダンス教師や振り付けを担当した複数のロシア人の名前が記録に残る。亡命音楽家も出演し、本場・欧州の息吹を伝えたという。また、文豪トルストイの娘で秘書も務めたアレクサンドラは29年に来日し、米国に移住するまでの2年間、現在の兵庫県芦屋市で暮らして日本のロシア文学者と交流した。

 亡命ロシア人を研究する青山学院大のピョートル・ポダルコ教授は「外国人居留地のあった神戸は、彼らにとって落ち着いて暮らせる雰囲気があった。だから名を成す人も出た」と分析する。再び故郷へ戻ることのなかった人々にとって、心のよりどころは教会だった。神戸ハリストス正教会に長年務めた酒井満神父(87)は「亡命ロシア人は暮らしと信仰が強く結びつき、伝統を大切にしていた」と振り返る。神戸に残る子孫は少ないが、多くの人々が外国人墓地で眠る。

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