「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が討ち入り前日に心情をつづった手紙が残されていることが分かりました。
— 産経ニュース (@Sankei_news) 2018年11月2日
遺書に当たる「いとま乞い状」で、約60年間、所在が分からなくなっていました。https://t.co/0dvFSVCFT7
「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が討ち入り前日に心情をつづった手紙が残されていることが分かった。遺書に当たる「いとま乞い状」で、3日から徳島城博物館で展示される。1955年ごろに東京などで展示されていたが、その後、所在が分からなくなっており、約60年ぶりの公開。
手紙は縦約17センチ、横約75センチ。日付は討ち入り前日の元禄15(1702)年12月13日付だった。徳島藩家老の子で、浪人中の大石に資金援助した三尾豁悟宛てだった。
手紙には、討ち入りの経緯や決意が約50行にわたって記され「吉良邸に討ち入ることになった。志のある48人が妻子や親類の後難を顧みず、あだ討ちを行う所存」との記述もある。討ち入り直前に脱退した毛利小平太を含め48人としていた。
手紙は東京などでの公開後、所在不明となっていたが、昨年3月、東京都内に住む三尾の子孫が、同博物館に寄託を依頼し、現存していることが分かった。