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大山は年間約5万人の参拝者がいると聞いた。だが、最盛期の江戸時代では年間に20万もの人々が、3、4日もかけて、江戸から歩いていたという。
現代と比べれば、雲泥の差の移動方法だ。当時の人たちにとって「大山詣り」が「ディズニーランド」に行くような気持だったと聞いても、信じられないだろう。
僕もその話を、代々受け継がれる「伝道師」の方から伺って驚いた。
時代は江戸後期、庶民の生活にも少しゆとりが出てきたが、自由に遠出をすることを許されなかったという。しかし、「大山詣り」だけは許されており、修験道とは大きくかけ離れた旅行や娯楽のために、登った人も多くいたという。

大山から下山したのちに、江戸の庶民は江の島を経由して帰ったそうだ。また、下社の大山阿夫利神社から本社へは、一年で一ヶ月ほどしか開門せず、女人禁制のため、限られた人しか登ることが許されなかったそうだ。それ以外の時期は厳重に鍵がかけられて、鍵を守る講の方々が、毎年江戸から歩いて開けに来たという。

初めて登る人はあまりの斜度にびっくりする男坂をガンガン登った。下社に着く頃にはケーブルカーを使って登ってきた観光客ですでににぎわっていた。
神様にご挨拶とお礼を伝え、本社のある山頂へと向かった。

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