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本稿を「思い出話」にする理由は、私が日本のソフトウェア産業、そして、ソフトウェア産業に限らず、日本の多くの企業・産業が陥ってしまった落とし穴の性格が、いわゆる「技術的」「産業的」なものではなく、社会的、文化的なものである故に、工学、技術、経済学、などの理論的・学問的な言葉では語れないと思うからだ。
自転車の乗り方を物理理論で語っても、自分が会得した自転車の乗り方を伝えることはできない。私が、本稿を、思い出話として書くのは、これと同じ理由である。本稿で、私が伝えたいことを、私は私自身の失敗の連続の中で理解した。無意識の内に自分に嵌めていた何重もの「タガ(箍)」に、失敗するたびに気づき、それを一つ一つ外していくことにより、私は、それを理解した。私がこの経験から得たものは、理論的言葉によっては伝えることができないだろう。そう思って、思い出話として、この稿を書いている。

現在の私は人文学者だが、もともとは数学者だった。

私は、数学、詳しく言うと数理論理学で学位を取得したが、職がなく、危うく「オーバードクター」第一号になるところだった。

実は、その歴史研究とウェーバー社会学は深い関係があったため、工学者ながら、難解なウェーバー社会学を簡単に理解することができた。
その結果、verification は、ウェーバー社会学の形式的合理性の概念に、validation は、実質合理性の概念に対応することに気が付いた。これは仕様・モデルのバグは、文化・価値のような社会的ファクターにまで関係する問題であることを意味していた。仕様のバグの問題を突き詰めると、最後は工学的手法では対処できない問題が出てくるはずだという私の直観はウェーバー社会学により理論化されたのである。この発見以後、私は、ソフトウェア工学社会学と関連付けて思考するようになった。

日本のソフトウェア部門が何かおかしい。自動車産業などでは、日本は世界に伍することができるが、ソフトウェアは全く振るわない。そして、その中で働く教え子たちは苦しんでいる。どうしてだろうか。どうしたら、この問題を克服して、日本に他の産業部分と比較しても恥ずかしくないようなソフトウェア産業にできるのか、そういう問題を私は考え続けていた。

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