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王岐山氏はもともと経済担当の役職が長く、1997年のアジア金融危機の際には広東省の高官に就任し、現地の国有の投資会社を倒産させるなどの大胆な措置で金融危機が中国本土に波及するのを最小限に抑えたことでその名を知られるようになりました。


これが評価された王氏はその後、54歳で党の中央委員に抜てきされ、地方のトップなどを務めていましたが、その名がさらに広く知られるようになったのは2003年に多くの死者を出した「新型肺炎」の感染が拡大した際、北京市の市長代理に急きょ抜てきされたときでした。


中国政府はそれまで患者数や感染地域を隠蔽していたため、国民の不安を高めただけでなく、かえって感染の拡大を招き、この責任を取る形で当時の衛生相と北京市長が解任されました。
代わって市長代理に就任した王氏は、情報を隠さず公表することや、患者を隔離して治療する専門の病院をわずか1週間で設けるなど、やつぎばやに果断な措置を取り、感染の拡大を早期に抑えることに成功しました。


その後、2007年の党大会で党の指導部である25人の政治局委員の一人となり、2008年に経済担当の副首相となったあとは、リーマンショックをきっかけとした世界金融危機への対応やアメリカとの関係の安定を目指す米中戦略経済対話の責任者となりました。


こうして中国政府にとって危機的な状況を何度も乗り越えてきた経歴から、王氏は一部の中国メディアから火事を消す「消火隊長」とも呼ばれ、共産党内ではその行政能力が高く評価されてきました。


2012年に党の最高指導部である政治局常務委員に昇格してからは習主席の下で汚職対策を担う規律検査委員会のトップとなり、それ以前とは全くレベルが違う強力な汚職撲滅運動を進めました。


当時、共産党汚職のまん延に対し国民には強い不満が広がっていましたが、その後の5年間、汚職撲滅運動で多くの大物幹部を摘発したことで習主席への国民の支持が高まるのを支えました。
またこの汚職撲滅運動で、王氏はそれまで党内で大きな影響力を持っていた習主席の政敵を次々と排除し、習主席に権力が集中するのを助ける形となりました。


王氏は去年秋の党大会で、68歳以上は引退するという党内の慣例に従う形で最高指導部を退きましたが、かつて文化大革命に伴って青年時代に貧しい農村での生活を命じられ、習主席と互いに近くの農村で暮らしたこともあり、習主席の信頼が極めて厚いと見られ、事実上、例外的に引退していないのではないかという見方が出ていました。


国家副主席のポストはこれまでの5年間、権力が伴わないいわば閑職ポストでしたが、今回、王氏が副主席に就任すれば習近平指導部の事実上のナンバー2になるという見方も出ており、今後どのような分野でどの程度政治に関与するのか注目されています。


全人代は17日、全体会議を開き、まず、習近平国家主席を2期目となる向こう5年間の国家主席に満場一致で選出しました。
続いて、国家副主席には、これまで汚職摘発の陣頭指揮に当たり、習主席への権力の集中を支えてきた王岐山氏を選出しました。


任期は5年間ですが、今月11日の全人代憲法が改正され、国家主席と副主席の任期を2期10年までとしていた制限が撤廃されたため、制度上、2人は無期限に主席と副主席にとどまることが可能です。


選出されたあと、習主席と王副主席はそれぞれ、およそ3000人の全人代の代表の前で、改正されたばかりの憲法の冊子に手を置き、「社会主義現代化強国の建設のために努力することを誓う」などと宣誓しました。


69歳の王氏は、去年秋の共産党大会で、68歳以上は引退するという慣例に従う形で指導部を退いていて、国家副主席に選出されるのは極めて異例です。


これまでの5年間、国家副主席のポストは実権の無い、いわば名誉職でしたが、王氏は汚職摘発のほかにも、かつて金融政策の責任者やアメリカとの外交に携わった経歴を持ち、習主席の信頼が極めて厚いと見られています。


このため王氏は今後、2期目の習近平指導部で、経済や外交などの重要政策にも深く関わり、事実上のナンバー2として大きな影響力を発揮するという見方が強まっています。

習近平国家主席が満場一致で2期目の国家主席に再選されると、習主席は座ったまま短く拍手したあと、表情を変えることなく立ち上がって一礼し、隣に座る李克強首相らと握手を交わしました。


また、補佐役の国家副主席には、習主席の盟友とされ汚職摘発の陣頭指揮を通じて習主席への権力の集中を支えてきた王岐山氏が選出され、王氏が習主席に握手を求めると、習主席は笑顔で応じていました。

国家主席に再選された習近平氏は、北京生まれの64歳。かつて副首相を務めた習仲勲氏を父親に持つことから、毛沢東と一緒に革命に参加した党幹部の子弟である「紅二代」の代表格とされています。


文化大革命の時期には15歳で、陝西省の貧しい農村での生活を命じられ、山の斜面に掘った横穴式の住居に寝泊まりしていたといいます。文革が終わりに近づいたころ、北京に戻り、名門の清華大学で学びます。


卒業後、党の中央軍事委員会で勤務したあと、河北省、福建省浙江省と、およそ25年間にわたって地方でキャリアを積みました。


その後、2006年に起きた上海を舞台にした汚職事件をめぐって、当時のトップの書記が解任されたことを受けて、2007年に後任に抜てきされ、その年の党大会で、異例の2階級特進によって最高指導部の政治局常務委員となり、よくとし国家副主席に就任しました。


そして、2012年に共産党トップの総書記に選ばれるとともに、軍のトップ、中央軍事委員会の主席にも就任しました。
さらに、よくとしの全人代全国人民代表大会国家主席に選ばれ、党・国家・軍の3つのトップの座を掌握しました。


習氏は、「中国の夢」という言葉を繰り返し使い、中華民族の偉大なる復興を実現させると訴えるとともに、幹部の汚職を摘発する「反腐敗」や、人民解放軍の改革などを大胆に進めてきました。


また、アジアとヨーロッパを中心に陸上と海上で東西をつなぐ巨大経済圏構想「一帯一路」を提唱し、経済をテコにした中国の影響力の拡大にも努めてきました。


「反腐敗」の取り組みで過去の最高指導部のメンバーや、次の世代のリーダー候補と見られてきた幹部らを次々と摘発する一方、かつて勤務した福建省浙江省で部下だった人など、自身に近いとされる人物を要職に登用することで自身に権力を集中させてきました。


そして、去年の中国共産党大会では、みずからの名前を冠した「習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想」を党規約に盛り込み、就任からわずか5年で1強体制を確立させました。


さらに今回の全人代全国人民代表大会憲法が改正されたことで、習氏が無期限に主席にとどまることが可能となり、権威づけが一層進むと見られます。また、夫人の彭麗媛さんは国民的歌手で、容姿端麗なファーストレディーとして国民の人気が高いことで知られています。

国家副主席に選出された王岐山氏は、山東省生まれの69歳。文化大革命の時期に陝西省の貧しい農村での生活を命じられ、その後、陝西省西安の大学で歴史学を学び、1983年に共産党に入党しました。


かつて副首相を務めた姚依林氏の娘婿で、習近平国家主席をはじめ、党の高級幹部の子弟と強い人脈を持ち、いわゆる「太子党」の1人とされています。農村改革の研究員などとして勤務したあと、中国の中央銀行にあたる中国人民銀行の副総裁や中国建設銀行のトップなどを歴任し、金融改革に携わりました。


その後、海南省トップの書記などを経て、2004年に北京市長に就任し、2008年夏の北京オリンピックの準備などに尽力しました。


2007年に政治局委員に選出されて指導部入りすると、2008年から金融などを担当する副首相に就任し、経済分野で主導的な役割を果たしました。

2012年には、最高指導部の政治局常務委員に選ばれ、党の幹部の汚職などを摘発する中央規律検査委員会のトップの書記を務めるなど「反腐敗」を旗印とする習近平指導部のもとで汚職摘発の陣頭指揮に当たってきました。

去年の党大会で、68歳以上は引退するという慣例に従って、最高指導部から退きましたが、汚職摘発に辣腕(らつわん)を振るい、習主席への権力の集中を支えてきた王氏の処遇が焦点となっていました。


栗氏は、習主席と関係が近いとされ、1期目の習近平指導部では、習主席を補佐する秘書役として党の中央弁公庁のトップを務めていました。


全人代は、憲法で国家の最高権力機関と位置づけられていて、栗氏は今後、そのトップとして重要法案の審議などを取りしきることになります。


全人代では、18日は首相を、19日は副首相や閣僚を選出する見通しで、2期目の習近平体制の陣容が固まります。

全人代全国人民代表大会の委員長に選出された栗戦書氏は、河北省出身の67歳。1975年に共産党に入党し、地元の河北省でキャリアをスタートさせました。


20年余りの河北省在任中、共産党の青年組織、共青団共産主義青年団の地方組織でトップを務めました。この間の1982年から3年間、今の国家主席習近平氏が隣の県に勤務していたことから親交を深めたとされています。


1998年に陝西省に移り、人事をとりしきる省の組織部長や西安市トップの書記などを務めたあと、2003年に黒竜江省に転任し、ナンバー2の省長などを務めたほか、2010年からは貴州省トップの書記を務めました。


2012年の党大会で習主席が党のトップの総書記に就任するのに伴い、党の最も重要な部署の1つである中央弁公庁トップの主任に就任し、重要政策や人事を調整して、習主席が急速に権力を集中させるのを支えてきました。


そして栗氏は、去年の党大会で、序列3位の政治局常務委員に昇格しました。


全人代は国家の最高権力機関と位置づけられていて、栗氏は今後、そのトップとして重要法案の審議などを取りしきることになります。

今回の全人代全国人民代表大会では、国家主席や国家副主席、それに閣僚などが選出されると、就任にあたり、初めてとなる憲法の宣誓式が行われることになっています。


このうち17日は、習近平国家主席が再選され、王岐山氏が国家副主席に選出されたあと、人民大会堂憲法の宣誓式が行われました。


式では、出席者全員で国歌を歌ったあと、習主席や王氏がそれぞれ壇上で、改正されたばかりの憲法の冊子に手を置き、「社会主義現代化強国の建設のために努力することを誓う」などと宣誓しました。


今回の全人代では、2004年以来、14年ぶりとなる憲法の改正で、国家主席の任期を2期10年までと定めた規定を撤廃するなどしていて、宣誓式では新たな憲法を順守していく姿勢が強調されました。


また、習近平指導部は、「法による国家統治」を重視することを掲げていて、国家の根本的な法とする憲法の宣誓式を行うことで、「法による国家統治」を広く印象づける狙いもあるものと見られます。


一方で、中国の憲法には前文に「中国の各民族は共産党の指導の下に社会主義国家の建設を行う」などとした文言があり、「法による国家統治」は、「党による国家統治」という意味とあまり変わらず、共産党の一党支配の正当性を確保するためのものにすぎないといった指摘もあります。