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山田方谷(やまだほうこく、1805〜1877年)
江戸末期の陽明学者。幕末に同藩の財政再建を断行し、窮乏にあえぐ備中松山藩の財政を再建。10万両(約300億円)あった借金を10万両の蓄財に変えた。18年1月には、山田方谷を題材にした大河ドラマの製作を求め、岡山県高梁市らがNHKに要望書を提出した。


河井継之助(かわいつぎのすけ、1827〜1868年)
江戸末期の長岡藩士山田方谷に半年間師事し、藩政改革の基礎を学ぶ。その後、長岡藩主牧野忠恭に引きあげられ、財政や教育、兵制改革を実施。家老上席に上りつめ、藩政改革に尽力した。戊辰戦争で、新政府軍を相手に奮戦し死去。司馬遼太郎歴史小説『峠』の主人公としても知られる。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180303#1520073504(一人家を出て数十キロを歩き山田方谷を訪ね弟子入りを乞うが、親に行先を告げずに出てきたことを理由に諭され一晩泊った後に手紙を渡され上福田に帰される。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20150814#1439548589(物に本末あり、事に終始あり。先後するところを知れば、則ち道に近し。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20130203#1359898833団藤重光の刑法学の根底には、主体としての個の尊厳と他の主体の尊厳を重んじる「主体性理論」「間(かん)主体性理論」がある。彼自身、この源泉を陽明学に求める。彼の祖父は熊沢蕃山(ばんざん)に私淑した山田方谷(ほうこく)の門人であった。団藤は幼少期を岡山で過ごしたが、家は蕃山の屋敷跡にあった。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20091118#1258503231(方谷の改革における基本方針は一言をもってすれば「事の外に立つ」「財の外に立つ」ことにある。つまり財政の収支、狭い意味の経済に心を奪われず、財(財政、財利)の外(局外)に立つこと、換言すると政治の根本、大局に立つことにあった。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20090519#1242695912山田方谷はこうした姿勢でしたから、初心者の弟子たちが「先生、ぜひ陽明学の講義をしてください」と言っても「今は君たちにそういう話をする時期じゃない」とね。「最初は字句の解釈を一生懸命考えろ」と。「そのうちにいろいろ疑問に突き当たるだろう。それで最終的な問題が出てきたら、そこから陽明学なんだ」と、そういうことを言って応じなかったんですよ。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081028#1225149467(慷慨、成しがたし、済世の業。蹉跎(さた=志を得ず、思うにまかせないこと。)いかんともなせじ、隙駒(げきく=奔馬が隙間からチラッと見えるほどの速さで駆けるの意。月日や時間の経つのが速いこと。)の駆けるを。幽愁(深い憂いや思いに沈むこと。)、柱によりて独り呻吟す。我を知る者は言う、我が念深しと。流水停まらず、人老い易し。鬱鬱(うつうつ=気がふさがるさま。)縁(よ)って、胸襟を啓(ひら)くなし。生育覆載(ふうさい=天地のこと。)、真に極まりなし。識らず、何の時か此の心に報いん。)

熊沢蕃山

  蕃山は桐原の地(熊沢守久宅)で朱子学の勉学に励むが、独学では満足できず、師を探し始める。そこで出会うのが、琵琶湖を隔てた地、近江小川村(滋賀県高島市)に住む中江藤樹。母への孝行の為に伊予大洲藩(愛媛県)を脱藩して、母の住む小川村に戻り、陽明学の私塾「藤樹書院」を開いていた。

蕃山の屋敷があった岡山城下の場所は、現在、岡山市北区蕃山(ばんざん)町となっている。

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大雨。 | 江藤愛の愛ことば | TBSブログ

またこうやって、自然災害に苦しめられる。


気持ちが落ち込みます。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180711#1531305925田中里沙

#コメンテーター


定期的に、自然界が日本列島や人間に脅威を示すことは歴史を調べればわかりますし、起きた結果の対策も当然必要ですが、なぜそれが起きたのか原因を突き詰めなければ根本的な対策にはなりません。


根本的な原因は、「人間が自然界の調和を破壊した結果」なのは明白です。


山を削り、川を埋め、水路水脈の流れを変えたり、地球内部の鉱物を根こそぎ掘り尽くしたり、地球を汚す汚染物質を地中に埋めたり、海水を汚したり、空気を汚したり、山を守る太い樹を根こそぎ伐り倒し・・・書き出したらキリがありません。


全ての行動には理由があり、人間が望んだ結果なのは事実ですが、人間の欲求によって破壊された自然界の調和は誰が修復するのでしょうか?


今、この時期は悲惨な報道に嘆くより、次に起きることの対策を練ることですし、人間が望む欲望の結果によって災害が起きていることを自覚した人は、自分の何を変えるのかを神々に宣言し、日々、自分が決めたことを行動に移すことで希望のエネルギーを発信して下さい。

そうでなければ、今まで以上に悲惨な地震、天災がまだまだ日本に起きることになりますので、日本を愛する人たち、地球を愛する人たちは自分の意識を変えて行動で示して下さい。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180707#1530961168(なんかもう人間にはどうにもならない何かが動いてて怖い)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20120525#1337963185(ずっと昔から、「哲学は驚きから始まる」と言われている。古代ギリシアの哲学者アリストテレスはこう言っている。「人々は、昔も今も、驚くことによって哲学し始めた。最初は、身近にある不思議なものに驚き、それから少しずつ大きなものに進み」、と。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20110414#1302791696(「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、隣人愛・信頼・平和といったような、自主的な人間の結合として成立する民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を律する最高の道徳則――いわばカントが、星をちりばめた天にも比した「胸の内の道徳則」のようなもの――を意味する、と解することができようか。)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080806#1217977902(太古の天地を洪荒といふが、よくその様を表してゐる。洪は大水であり、氾濫であり、圧倒的な大がかりである。荒は調和や秩序のできてゐない、あらあらしく、すさまじい様である。今にくらべれば、天は限りなく高く、地は限りなく広く、日は更に大きく、星月のきらめきは凄く、山々は厳しく、森林は暗く、雷電は激しく、風雨は強く、寒暑も烈しかつたであらう。その中に在つて太古人は常に無限の驚き・恐れ・疑ひ・惑ひを抱いて生きた。然しそれが人間文化の原動力となつたのである。)