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そして、大峯奥駈道最初の山小屋「行仙宿(ぎょうせんしゅく)山小屋」に到着した。
山小屋というよりも、民家のような立派な建物と役行者さんが奉られている「行者堂」があった。
そこで、2リットルのペットボトル4本を手に、標高差130メートルの水場へと下りた。

持経の宿で今から34年前に新宮山彦ぐるーぷの方々が、荒れて道もなかった大峯奥駈道の南部「南奥駈道」45キロを整備したことを知った。その時に基地としていたのが持経の宿だったという。
そのため、行仙宿山小屋ほどの大きさは無いが、充実した山小屋だった。また、3年前に改築されたばかりのため、かなりきれいだった。


大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の南部は南奥駈道とも言われ、明治の神仏分離修験道廃止により、大峯奥駈道もその影響を受けたという。その後修験道は復活したが、主に歩かれていたのは大峯奥駈道吉野山から前鬼(ぜんき)まで。南奥崖道は荒廃が進み、背の高い笹藪に覆われてしまっていたという。
再び道を復活させようと、一人の方が立ち上がり、その意思を受け継いだ方々(新宮山彦ぐるーぷ)の絶え間ない活動により、今も道は維持されている。

その事を、途中で立ち寄った大日岳山頂でそのグループの方々に偶然出会い、教えていただくことができた。出会ったときも山頂の大きな仏像の土台を修繕されていた。ここもまた、自分の知らない方々の力により、守られていることに感謝した。


3日目も暑さで大量の汗をかき、大量の水分補給が必要となった。大峯奥駈道は水場が少なく、また、夏場には枯れてしまうこともある。したがって、どんなに時間がかかっても、補給できる場所で補給するしかない。
山頂に大きな御釈迦様が立つ釈迦ヶ岳の直前にある「深仙の宿」の水場で、20分以上時間をかけて、約2リットルを補給した。

途中で那智勝浦の青岸渡寺からの修験者の方とお会いした。許しを得て、靡(なびき)での行を見学させてもらった。
修験道が盛んだった時代には100を超える靡があったが、現在は76まで減ってしまっている。そのすべてで行をするのだが、平均で15分程と聞くが、時間は場所や人によっても変わるという。法螺貝が山と胸に響き、お経が心地よく聞こえた。山には草木や花、石や岩あらゆるものに神や仏は存在し、日々の感謝の気持ちを伝え、力の源である山からパワーをいただくことができると修験者の方は言った。
通じるものを感じ、八経ヶ岳へと向かった。