有名学者も脱帽!天皇への「ご進講」そんなことまでご存じとは… : https://t.co/tU9EeinVFg #現代ビジネス
— 現代ビジネス (@gendai_biz) 2018年8月27日
ご進講とは、様々な分野の専門家や官僚、政治家が天皇などの貴人に対して講義をすることを指す。天皇に対しては月に1〜3度ほどの頻度で行われているが、その最大級のものが、毎年1月に御所内の「松の間」で行われる「講書始の儀」。
古くは明治天皇の時代から行われており、歴代天皇が「天皇の立場として、その時代に必要な知識を専門家から吸収する」ために設けられた行事だ。
講書始の儀におけるご進講では、日本の学界の大御所である識者が2〜3人招待される。
彼らは、お二人にそれぞれ15分程度の講義を行う。テーマは天皇が自ら決定し、ご進講者は宮内庁の幹部や、内閣を通じて他の省庁からの推薦によって選抜される。天皇がお話を伺いたい「先生」を指名することもあるという。
講書始の儀でのご進講を終えた後の天皇・皇后からの「お礼」に関する逸話については機密事項とされ、一般的にはほとんど知られていない。
だが、本誌がご進講を行った学者に取材を重ねたところ、ご進講から1ヵ月ほど経過してから、講義のお礼として御所へと再び招待され、天皇・皇后とプライベートな食事会を行うのが通例となっていることが明らかになった。
そこでは、お二人と学者がご進講の内容を「復習」しながら、和気藹々と議論を楽しまれているというのだ。
「『若い頃、よく和船を櫓で漕いでいました』とお話しされていました。普通のボートなら体験する機会があるのは分かりますが、櫓を扱うことができる人はほとんどいません。ご興味の幅広さを感じました」
天皇は'09年にも、葉山御用邸前の海岸で悠仁親王とともに、和船での航海を楽しんだ。その際も自ら櫓を用いて船を漕ぐ姿を見せ、周囲を驚かせたことがある。
「私のご進講のテーマは『西行と伊勢』でした。講義について両陛下がどのようにお感じになられたかは自信がありませんでしたが、ひと月ほど後の食事会の席で、天皇陛下が皇后陛下に突然『アレを持ってきてごらん』とおっしゃったのです。
皇后陛下が持ってこられたのは古びたノートで、学生時代に西行をはじめとする、日本文学について独学で勉強された際のものとのことでした。何度も読み返されていたのか、ボロボロでした。
日本の古い文学は社会的、経済的な影響が少なく、学問として軽視されがちな傾向がありますが、この分野にご興味を持っていただいているのは、非常に心強く感じましたね」
皇后は専攻する分野ではない西行についても独学で学び、さらにはその後60年にわたり、復習をされていたというのだから驚きだ。
ご進講の後に開かれる食事会では、侍従は部屋の外で待機し、終了の時間を伝える際にドアをノックすることになっている。だが、両陛下の知識欲は、時にそんなルールなど構わずに突き進んでしまうほどだ。
前出の喜田氏が食事会に参加した際は、既定の時間を過ぎても、ご進講の内容についての歓談が終わる様子はなかったという。
「私が招待された食事会は18時から22時までの予定だったと記憶していますが、その間お話が尽きることはありませんでした。
私たちが専門の分野についてお話しし、両陛下がそこに鋭いご質問をされていると、あっという間に時間が過ぎ、侍従の方がドアをノックしても、陛下は『もう少しだけ』とお話を続けられていた。結局、30分以上はオーバーしていました」(喜田氏)
人間、多忙を極めれば、勉強する気力も体力もなくなるものだ。公務に追われる日々を過ごしながらも、学者たちが瞠目するほどの天皇の飽くなき知識欲と深い教養は、一体どこから来るものなのか。
それは、天皇が学者として研究するきっかけとなるエピソードから窺い知ることができる。
「陛下にハゼの研究を始められた理由をお尋ねすると、『若い頃に葉山の御用邸に近い海辺の岩場で遊んでいたら、変わった魚が逃げ出したのを見たんです。近くにいる者に聞けば、あれはハゼという魚だと。
それ以来、あの魚が気になってしまい、研究することにしたのです』とおっしゃっていました。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180724#1532429128(天皇陛下「控えめな外見の裏に鋭い知性」)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180716#1531738248(葉山一色の裏山の斜面を登っていた。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180204#1517740696(教養部とか一般教養とかを担当する教師こそトップレベルを配置しなきゃいけなかった。)
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20180131#1517395198(三崎の臨海実験所で和船をこいで)
大学での教養教育は、先生たちが、これぞ教養と思うものを教えちゃだめだ。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2016年11月5日
学生さんたちが、将来、世に出て行った時に出会うであろう様々な局面での判断力の基になる知識やものの考えたが教養。
教養のタネは自分が教える科目の中にいくらでも転がっているのだが、大抵の教員はそれに気づいていない
市民に世界で何が起きているかを判断するための基盤としての教養が欠けているのは、日本に限らない。あえて言えば、アメリカだろうと、フランスだろうと、英国だろうと、フランスだろうと同じレベル。ここでいう教養とは知識だけでなく、知識を基に論理を組み立てる営為を指す
— masanorinaito (@masanorinaito) 2016年11月20日
院生時代に戻りたいとは全然思わないのだが、学部の頃には戻りたいと思う。東大には理科二類で入り、教養学科の科学史・科学哲学分科というところに進学したのだが、どうしてそういう選択をしたのかを、今もって合理的に説明し難い。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2017年9月17日
人文系の学部でも、自然科学の基礎を教養として教える必要があると思う。それも、一流の先生の手で。
— masanorinaito (@masanorinaito) 2016年4月18日
教養教育が直接的に就職に役立つかどうかではなく、生きていく上でなぜ意味を持つのかを学生達に分かってもらうための授業や演習が必要。科学史、科学社会学、科学と倫理…文系に必要であると同時に理系にも必須。技術者や医師には特に。 https://t.co/uqFpTjroYv
— masanorinaito (@masanorinaito) 2015年7月21日