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ドイツの哲学者 G.ライプニッツがそのフランス語での著作の表現としてギリシア語の theos (神) と dikē (正義) から合成した造語。神義論とも訳す。彼は『神の善性,人間の自由,悪の起源に関する弁神試論』 Essai de théodicée sur la bonté de Dieu,la liberté de l'homme et l'origine du mal (1710) で,全能,善良なる神が創造したこの世界にいかにして人間の自由行為と罪が可能であり,かつそれが神の責任に帰しえないかを論証した。その後,この語は神の摂理,悪の存在の解明などを主とする自然神学的論究に対して用いられ,19世紀前半のフランスのリセや神学校などでは哲学の一部門として,ほぼ自然神学の意味で用いられた。

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九 天帝が一物を造り玉ふにも必ず力徳によりて造りなし給ふにより、善悪相混じ美醜互に交はりてゐるのである。
一〇 世の中には神は此世に何故善ばかりを拵へぬのかと理屈を云ふものがあるが、神は大工や左官でないから指金は持ちたまはぬ、善になるも悪になるも、皆其物の力徳である。夫れで誠の道に赴いて神力を享けねばならぬのである。

宇宙人生は天の自慊(じけん)的創造である。自己を実現しつつある努力である。
この絶対自慊にして、何等他に俟つ所を求めない生々化育の努力を「誠」と謂う。
誠は天の道である。誠に由(よ)って萬物があり、誠がなければ物もない。人は、此の誠に由って生き、禽獣と異なって自覚を生じ、誠の誠なる所以を体認して之を発揮するようになる。
これを「誠之(せいし)」といい、所当然の道とも謂う。

然し我々は次第に天地人間から分隔して(これも実は偉大な創造分化なのであるが)己私に執着して誠に叛(そむ)き易い。その為に折角の性を傷(そこな)って天と断つの不明に陥った。
そこに諸々の悪が蔓(はびこ)る。「唯天下の至誠のみ能く性を尽くすことを為す」である。

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