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このほど行われた番組収録に密着していると、宇賀がオリジナルの名刺を渡してくれた。「私、独立して会社を作ったんですよ。芸能事務所さんに入っていないので、自分で会社を作って、代表としてやっているんです」。

 局アナからフリーランスへと転身する際、事務所に所属して活動を続けていくのが一般的だが、宇賀は“個人”で活動をする道を選んだ。「この名刺も友達が作ってくれて、ホームページも作ってくれて、本当に助けていただいて、手作りでやっております。今は自分のマネジメントというか、自分というものしか商品がなくて、何とか精一杯やっている感じです」。今回の番組は、まさに今後の自分の活動にもつながるものだ。「本当にたまたまだったので、びっくりしました。もしかしたら、この番組に来てくださるゲストのみなさんに刺激されて、私も何かビジネスをするということがあるかもしれないので、できるだけいろんなジャンルの方のお話を聞きたいです(笑)」。

 テレ朝時代にはできなかった“ラジオ”の仕事に新鮮さを感じている。「TBSさんで番組をやること自体が不思議な感じでした(笑)。ひとりで赤坂に向かって来る時はすごく心細かったんですけど、到着したらスタッフのみなさんがいらっしゃって、すでに何回か打ち合わせがあったので、温かいチームになっていて、それでホッとしました。TBSラジオさんは、アナウンサーの大先輩方が活躍されているところであり、日本で一番聞かれているラジオ局でもあるので、そこにひとりで、しかもタイトルに自分の名前がついちゃっていいんですかって。私でいいのかなという気持ちはありました」。

 初回収録を終えて、さまざまな発見があった。「まずは、ラジオから聞こえてくる自分の声が不思議で(笑)。番組のメインは、ゲストの方からお話を伺うことなのですが、自分のことをしゃべる3分間くらいのコーナーもありまして、これが難しかったですね。今までのアナウンサーのお仕事では、スタジオでもロケでも2人以上でしゃべることが主だったので、3分間ひとりしゃべりする苦労を感じました。リスナーとして聞いていると、パーソナリティーのみなさんがすごく自然にやっているじゃないですか。あれすごいなって改めて思いましたね。とにかくネタを考えないといけないなと。同じ生活をしていても、意識するかどうかで変わってきますし、季節感とか、気づいたことを盛り込んでいきたいです」。“ひとりしゃべり”に苦戦しながらも、早くもラジオの虜になっている。

 「テレビの大きな帯番組となると、100人を超えるようなスタッフがいるので、全員と密にコミュニケーションを取ることは難しいのですが、ラジオは少人数でやっているので、あったかくていいなと感じています。みなさん一人ひとりのお顔もちゃんとわかりますし、その中でひとつのものを作っていく。テレビだと、表情や身振り手振りで伝えられる情報が多いですが、ラジオは言葉だけの勝負になるので、そこに挑戦できるのはうれしいです」

 TBSには同期の江藤愛アナ(33)がいるが、今回のフリーランス転身にあたってエールを送ってもらったとうれしそうに明かした。「愛ちゃんは退職するっていう時に連絡をくれて、お互いに忙しくて、時間帯もバラバラなので、なかなか会えていなかったのですが『宇賀ちゃんのことは勝手に同志だと思っていた。だから、やめちゃうのはすごくさみしいんだけど、お互いにこれからも頑張ろうね』と言ってくれて、すごくうれしかったんです。私も愛ちゃんのアナウンサーとして立ちふるまいがすごく好きで、会えなくてもひるおび!』での活躍を見ていたので、そういう風に思っていてくれていたことがうれしくて。お互いにテレビでの姿を見て、刺激をし合える仲っていいなと思いました」。

 「フリーランスになった実感は?」と向けてみた。「新しいお仕事をしている、新鮮だな、楽しいなっていうのはあるんですけど、実感としてははまだないんですよ。会社にも所属していないですし、毎日同じところに行っていないんですけどね(笑)。自分が担当していた羽鳥慎一モーニングショー』をつけても、みんな元気にやっているなと思って、逆にさみしくなくて、テレビ越しなのですが会っている感覚になるんです(笑)」。今はまだ、忙しさに追われる毎日だ。

 「会社を作ったので、いわゆるスケジュールの管理とか、メールや電話のやり取り、ホームページも自分で更新しているので、休みも働いているような状態でして…。ただ、そういった表に出ない仕事も面白くて、ひとつずつ覚えていきたいです。アナウンサーの仕事しかできないようでは、今後は厳しいかなという考えがあって、いろんなことをできるようになりたいし、いろんな世界を見てみたかったから、今回こういう方法をとったんですね。今すごく大変ではあるんですけど、楽しくて、面白いです。今は『フリーアナウンサー』と呼んでいただけるんですけど、自分としては“ただの人”というイメージで、柔軟に動いていきたいなと。人生長いですし、今はいろんな働き方ができる時代になってきているので、そこはなるべく自由度高く主体性を持って動いていきたいですね」

 そして、今後の展望を明るく語ってくれた。「テレビ朝日に就職した10年前、TBSラジオでお仕事をする未来が待っているとは思ってなかったですから、10年後の自分もどうなっているかわからないですね(笑)。小学校高学年から毎日日記を書いているのですが、最近部屋を整理していたら、3~4年前の日記に『ラジオで冠番組をやりたい』って書いていたんです。自分でも全く覚えていなくて、それが今回かなったって不思議ですよね。だから、行き当たりばったりでも、その時心が動く方に行けば、自分の中での正解にたどり着けるのかなという気持ちでいます。夢ですか…。強いていうなら、将来80~90代になって、昼間にビールを飲みながら『あー面白かった』って人生を振り返ることですかね(笑)。そのために、今は週3日休肝日を作っています」。