長年、実の父親から性的虐待を受けていた女性が、なぜ抵抗できなかったのか、その時の心情を語ってくれました。https://t.co/3xKLYhBw46
— NHKニュース (@nhk_news) 2019年4月26日
取材に応じてくれたのは、先月、別の親子の事案で、裁判所が父親に無罪判決を言い渡したことに衝撃を受けたからです。
「ちょっと乱暴な判断」 女性はそう感じました。
親が嫌がる子どもに性的暴行をしても罪に問われない場合がある。実は、ずっと前から懸念の声が上がっていました。
先月26日。名古屋地方裁判所岡崎支部は、当時19歳の実の娘に性的暴行をした罪に問われた父親に、無罪を言い渡しました。
父親は、「娘は行為に同意していたし、抵抗できない状態ではなかった」と主張していました。裁判所は、2人の間のやり取りなどから、娘は同意していなかったと認定しました。
一方で、「強い支配による従属関係にあったとは言い難く、心理的に著しく抵抗できない状態だったとは認められない」として無罪と判断したのです。
なぜ、無罪という判断になったのでしょうか。
日本の刑事裁判では、性行為を犯罪として処罰するには、「相手が同意していない」ということだけでなく、「暴行や脅迫を用いた」または「相手が抵抗できない状態になっていて、それにつけ込んだ」ことが立証されなければなりません。
刑罰を科す対象が広がりすぎないように、要件を厳格に定め、特に悪質なケースを処罰するという趣旨です。
一方で、被害者からは「他人から見れば抵抗できたように思える状況でも、実際は違う」という批判が上がっています。
「親に抵抗すると学校に通えなくなるんじゃないのかって。そうなったら自分の人生はどうなってしまうんだろう。今の生活も、これからの人生も、全部壊れちゃうのかなと思うと、強く抵抗することはできなかったです」
葛藤は、そればかりではありませんでした。家族のことを考えると児童相談所に訴え出ることもできませんでした。
「衣食住を失うんじゃないか。母親やきょうだいの人生はどうなるんだろう。お父さん、刑務所に入るんじゃないかなとか。そうなったら家族みんなが悲しむのかなと考え出したら、わからなくなってしまって」
女性は、“実際は逆らうことができない”という、親から性的虐待を受けた被害者特有の心理を明かしてくれました。
虐待は、女性が高校生になり、父親と離れて暮らすようになるまで続きました。しかし、うつ病と、つらい記憶がフラッシュバックする症状に悩まされるようになり、「親から正しく愛されなかった自分は生きる価値がない」と数年前まで苦しみ続けてきたということです。
女性は、今回の判決について、“抵抗できないわけではなかったから無罪”というのは、被害者の視点が抜け落ちていると訴えています。
「性的虐待に及ぶ父親は、加害者であると同時に親でもあるんです。その関係を考えた時に、『頑張れば抵抗できたんじゃないの』みたいな判断を他人が下すのは、ちょっと乱暴じゃないのかなって思います。被害の実態をもっと知ってもらいたい」
今回の判決でも、娘が、父親に学費を負担させた負い目を感じていたことや、被害を訴え出ると弟たちに影響が及ぶと心配していたことは認定しています。家庭内での性的虐待をめぐる問題の難しさは、子どもが被害を言いだしにくい点にあります。このため、被害者が1人で問題を抱え込むことになってしまうのです。
児童相談所の所長を務めたこともあり、虐待を訴える子どもの支援を続けている名古屋市のNPO「CAPNA」の理事長、萬屋育子さんは、表面化している性的虐待の被害は氷山の一角にすぎないと指摘しています。
「傷やあざとなって現れる身体的虐待や、ごはんを食べさせないなどのネグレクトに比べ、性的虐待は外からではわからない。特に小さな子どもは性的虐待を受けていることに初めは気付かない。性的虐待は、家庭内で、しかも近親者との間で起こるので子どもは訴えにくく、表面化してこない被害の方が多い。勇気を持って訴えても、裁判の結果無罪になるのは、子どもにとっては二重三重の大人からの裏切りになるのではないか」
こうした指摘を受けて、おととし刑法が改正され、被害者が18歳未満の子どもであれば、親などの「監護者」がその影響力を行使して暴行した場合は処罰できるようになりました。しかし、要件そのものの見直しは行われませんでした。
性的暴力の被害者を長年支援してきた村田智子弁護士は、数年前に見直しの機会があったにもかかわらず、議論が不十分だったと考えています。
5年前、法務省は、有識者による検討会を設置し、刑法の性犯罪に関する規定の見直しについて議論を始めました。背景には、性犯罪が処罰されにくく、刑も軽すぎるという被害者の声がありました。この検討会では、性犯罪を罪に問うための要件を緩和するかどうかも議題になりました。平成27年2月。6回目の会合の会場でした。
議事録によりますと委員の1人で、女性への暴力に関する問題を扱ってきた弁護士から、「抵抗できない状態につけ込んだ」という要件が厳しすぎるために、本来なら処罰されるべきケースが無罪になっているという指摘が出ました。この委員は、要件の撤廃や緩和が必要だと訴えました。これに対して、ほかの委員からは、相次いで反対意見が出ました。
「(要件をなくせば)被害者の意思に反していると確信できないような事例まで有罪とすることになる」といった「えん罪を生みかねない」という意見。
「(要件が『同意の有無』だけになると)外形的な証拠がない場合に被害者の主観を証明するのはかなり難しい」「むしろ弊害があるのではないか」といった「有罪を立証するのが困難になる」という意見。
さらに、「(裁判の運用上)要件はかなり緩和されている」といった「今の要件でも裁判官が適切に判断している」という意見。
委員の多くは要件の見直しに反対し、次回以降、このテーマについてはほとんど議論が行われませんでした。法改正を具体化するための法制審議会の場でも、要件の見直しは論点になりませんでした。
村田弁護士は「この時に議論が尽くされず、問題が放置された。今回の判決によって、当時の懸念がまた繰り返されている」と指摘しています。
今回の判決を読んだ伊藤和子弁護士は、無罪という結論は「裁判官が要件を厳格に適用した結果」だと見ています。
名古屋地裁岡崎支部は、被害者が抵抗できない状態だったかどうかを判断するために、▼精神的なショックで「強い離人状態(解離と呼ばれる状態)」にまで陥っていたかどうか、▼「生命や身体などに危害を加えられるおそれがある」という恐怖心から抵抗することができなかったかどうか、▼性交に応じるほかには選択肢が一切ないと思い込まされたかどうか、という観点から検討していました。
そして今回のケースは、いずれにも当てはまらないという理由で、無罪としました。
伊藤弁護士は「裁判官の判断には非常に幅があって、中には要件を緩やかに判断するケースもあるが、今のままでは『ばらつき』が出る余地があり、救われない被害者が出てしまう」と話しています。
伊藤弁護士は、人権問題に取り組むNGO、「ヒューマンライツ・ナウ」の事務局長も務めています。この団体が行った調査では、韓国では、日本のように暴行や脅迫の要件はある一方で、相手が未成年者の場合などは、より程度の軽い「偽計」や「威力」を用いた場合にも罪に問えるという要件にしているということです。
さらに、イギリスやカナダなど、同意がなければ罪に問える国もあるということです。日本と同じような要件があったドイツやスウェーデンでも2016年と2018年にそれぞれ法改正が行われ、同意がなければ罪に問えるようになったということです。
おととし、日本で刑法が改正された際、「3年後に必要があれば見直しを検討する」ことも盛り込まれました。
伊藤弁護士は、今回の判決に疑問の声が上がっていることを踏まえて、改めて要件の見直しも含めて議論すべきだと話しています。
「海外では『#MeToo運動』のような被害者の声の高まりを背景に法改正が行われている。外国のさまざまな制度も参考にしながら議論を進めていくべきではないか」
1件の無罪判決に対して、これだけ大きな波紋が広がったケースは、あまり例がありません。その理由を考えると、社会の規範である法律が、本当に今の社会にふさわしいものになっているのか、改めて議論すべきなのではないでしょうか。