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東京 渋谷区で開かれたことしの大会には、今月から日本赤十字社の名誉総裁に就任した皇后さまをはじめ、名誉副総裁の秋篠宮妃の紀子さまなど女性の皇族方も出席されました。

大会では集まった関係者およそ1900人を前に、皇后さまから赤十字の活動に功績のあった個人や団体の代表に表彰状などが手渡されました。

続いて活動報告が行われ、岡山赤十字病院の男性医師が去年7月の西日本豪雨の際の救護活動について発表しました。

皇后さまは医師に体を向けて熱心に耳を傾け、災害発生の3か月前に救護訓練を行ったことで職員が速やかに対応できたという報告を何度もうなずきながら聞かれていました。

皇后さまは会場をあとにする際、医師に被災地の復興状況について尋ねたほか「日頃から訓練や連携をしておくことがとても大事になりますね」とことばをかけられたということです。

天皇陛下の即位後に皇后さまがお一人で公務に臨まれたのは今回が初めてです。

皇后さまは今後、優れた功績のあった看護師などに贈られるフローレンス・ナイチンゲール記章の授与式などにも日本赤十字社の名誉総裁として臨まれる見通しです。

国内外での人道支援や医療活動などを行っている赤十字への支援は、明治以降、歴代の皇后をはじめ皇室で受け継がれてきました。

明治10年日本赤十字社創始者佐野常民は、西南戦争で負傷した人たちを救護するため、有栖川宮熾仁親王の許可を得て日本赤十字社の前身の「博愛社」を設立しました。

3か月後には皇室から多額の活動資金が提供されたと言います。

明治20年になると「博愛社」は日本赤十字社に改められ、明治45年には、明治天皇のきさきの昭憲皇太后が、赤十字の活動の奨励のため現在の3億5000万円に相当する寄付金を国際赤十字に送りました。

これを基に国際赤十字に「昭憲皇太后基金」が設けられ、今も世界各地で人道支援に役立てられています。

大正天皇のきさきの貞明皇后は、大正12年に発生した関東大震災を受けて日本赤十字社の病院や救護所などを訪れ、被災者を見舞いました。

昭和22年には、日本赤十字社の定款に皇后を名誉総裁にすることが盛り込まれ、昭和天皇のきさきの香淳皇后が初代の名誉総裁に就任しました。

香淳皇后は、日本赤十字社の全国大会やフローレンス・ナイチンゲール記章の授与式に臨むなど、活動を支えました。

上皇后さまは、上皇さまの即位に伴い昭和64年1月に名誉総裁を受け継ぎ、社会で弱い立場にある人たちや、医療や福祉の現場で働く人たちに心を寄せ続けられました。

平成7年に起きた阪神・淡路大震災では、上皇后さまの意向がきっかけとなって、「心のケア」にも重点が置かれた被災地での救援活動が本格化することなりました。

皇后さまは、天皇陛下と結婚した翌年の平成6年に日本赤十字社の名誉副総裁に就任し、毎年各地で開かれる献血運動推進全国大会に出席するなど活動を支えられてきました。

去年5月の日本赤十字社の全国大会では、最後に上皇后さまが皇后さまを会場に紹介され、出席者から大きな拍手が送られる一幕もありました。

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