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「たかはし」へ行く。

二重弁当を注文。

一体、何種類のおかずが詰められているのだろう。一番最初に食べるのはいつも海老フライだが、そこから先は決まっていない。「さて、次は何を食べよう」とその都度考えながらおかずを口に運ぶ。スマホをいじりながらとか、本を読みながらとか、そういう食べ方はしない。食べることに集中して食べる。このお弁当はそういう風にして食べるべきものだ。

5時半に研究室を出て、地下鉄に乗ったところで、妻からラインが届いた。「大変、ナツが死んじゃった!」

「どこで?」と私は返信した。不思議なほど冷静だった。「玄関の前のプランタースタンドの下。どうしよう」「庭に埋めてあげよう。いまから帰る。」

野良猫だが、半分飼い猫化していたナツを最後に見たのは、月曜日、合宿から戻ってきた日だった。ナツはこのところずっと玄関先の椅子の上にいた。梅雨寒の中、じっとしていた。深夜、ジョギングをしてもどってきたときも同じ場所にいた。頭を撫でてやると、自分から頭を手のひらに押しつけてきた。背中を撫でてやるとかなり痩せて背骨がゴツゴツと感じられた。エサをやっても食べず、水だけは飲んだ。他の家で餌をもらっている様子はないので、食欲そのものがないのだろう。これはもう長くないなとそのとき思った。

翌日からナツの姿が見えなくなった。野良猫は人目につく場所では死なない。そのことを私は経験的に知っている。野良猫の世話をするのはナツが初めてではないのだ。自分の普段の生活圏(テリトリー)の中の人目に付かない場所、家の縁の下とか、物置の下とか、そういう場所に身を横たえて死んでいくのだ。一応、自宅の敷地の中は見てみたが、ナツはいなかった。それから二日後(一昨日の木曜日)、妻がナツをみかけたという。「ナツ!」と妻が名前を呼んでも振り向かず、隣の家の方へ歩き去ったという。そして今日、妻が仕事から帰って来て、玄関席のプランタースタンドの下でナツが死んでいるのに気付いたのだ。私は妻からラインでそのことを知ったとき、私は「やっぱり死んだか」という思いと、「うちに戻ってきて死んだのか」という思いがした。まったくの野良猫ではなく、半分飼い猫らしい死に方だと思った。「これでうちの庭に埋葬してやることができる」と思った。

夕食はシシャモ、アスパラのベーコン巻、サラダ、味噌汁、ご飯。

茹でトウモロコシも。

デザートは桃。