玄関先にナツがいる。道行く人が「ナツ」とか「なっちゃん」とか、あるいは独自の名前で呼びかけると、愛想よく「ニャン」と答えたり、相手によっては道路まで出て行って体を触らせたりしている。幼い頃にきょうだいと生き別れ、その後、母親とも死に別れた小さな野良猫はこうやって生き抜いてきたのだ。
3限は大学院の演習。吉見俊哉「美智子妃と樺美智子ー転換期の女性像」と細見和之「高村三郎と永山則夫ー集団就職と体験」を読む。
〝「美智子」が「美代子」に代わり、「美」のつく女子名の主役を占めていたのは1930年代半ばから1940年代後半までの約10年間である。この時期に生れた多数の「美智子さん」が高校を卒業するのは1950年代半ばから60年代にかけてであった。いうまでもなく、この「美智子さん」世代の最も祝福されたケースが1934年生まれの正田美智子であり、最も悲劇的なケースが1937年生まれの樺美智子であった。〟(吉見 22頁 *数字は漢数字を算用数字に変換)
夕食はチキンと夏野菜のカレーライス、サラダ(+ゆで卵)。