いま人類史は激変期にあるんだな、と感じる。
— 千葉雅也『アメリカ紀行』発売 (@masayachiba) 2019年7月17日
最近、なんだか戦前から戦後へと生き延びているみたいな気分になる時がある。
— 千葉雅也『アメリカ紀行』発売 (@masayachiba) 2019年7月17日
music.apple.com戦後から「戦後々」へ。インターネット普及以後の世界は、戦後々だ。
— 千葉雅也『アメリカ紀行』発売 (@masayachiba) 2019年7月17日
music.apple.com5 パレード(マ・ベル・エトワール)
music.apple.com15 パレード(ゴールデン・サンライズ~ゴールデン・デイズ)
2 ミレニアム・チャレンジャー!
9 ミレニアム・チャレンジャー!(パレード)
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自然主義以来、日本の近代文学は「家」という秩序の否定者あるいはこの秩序からの脱出者によって書かれた。「私小説」が可能だったのも私小説作家の背後に脱出し否定すべき家の秩序と天皇制国家の掟が厳存していたからであった。
— 江藤淳 (@etojunbot) 2019年7月17日
大江健三郎
近代の法、経済、政治、倫理、政治哲学が問題にしているのは個と全体の関係です。
<社会はどうあるべきか>、<社会のために>、<大衆のために>などということばを簡単に使ってはいけないでしょう。なぜなら全体としての社会を構成するのは私たちだからです。個から遊離した全体など存在しません。自我が絶対化し、自我が超越し出すと、全体を夢見るようになり、個から遊離してしまいます。多様性が低い段階では<全体としての我々>になります。
無限に多様な人間であっても自ら秩序が生まれるのです。
8歳の時、ミュージカル公演「エリザベート」のDVDを観て、歌やダンスの迫力に感動したといいます。以来、宝塚歌劇団やミュージカルの舞台を足しげく観劇するようになりました。
高校1年と2年生の時に宝塚音楽学校を受験し、いずれも最終選考まで残ったそうです。