https://d1021.hatenadiary.com
http://d1021.hatenablog.com

blog.goo.ne.jp

ユミさんと蒲田駅で別れ、私は一旦帰宅し、5時頃に家を出て、吉祥寺へ向かった。卒業生のサワチさん(論系ゼミ7期生)が出演する「あやめ十八番(第11回公演)しだれ咲きサマーストーム」という芝居を観るためである。

弁天通りから五日市街道に出たところにこんもりと樹の茂った公園のような場所があった。

その入口のところに看板が立っていて、「吉祥寺村のはじまり」と書いてある。これを読んで、長年の疑問が解けた。その疑問というの「なぜ吉祥寺には吉祥寺という寺がないのか」というものだった。

看板に書かれた説明によれば、明暦3年・4年(1856年・57年)に江戸で大火があり、現在の水道橋の近くにあった吉祥寺という寺や周囲の町が焼けた。吉祥寺は駒込の方へ移築され、吉祥寺の周辺にいた人々は江戸の郊外の牟礼野(現在の吉祥寺)に土地を与えられ、入植した。 これが後の吉祥寺村である(吉祥寺村は、明治22年に、周囲の三村と統合されて武蔵野村となり、昭和22年に武蔵野市となった)。

入植した人々は、五日市街道の両側に沿って幅20間(約36メートル)、奥行き634間(約1140メートル)の短冊状のの土地を等しく与えられ、街道沿いに家を建て、家の裏手を田畑とし、耕し切れない土地を林野のままとして木材や燃料(薪)を調達した。現在でも当時の短冊状の土地の名残を街道沿いに見ることができるという。なるほどね。「ブラタモリ」みたいじゃありませんか。

ビーフシチュー(+煮玉子)、牛乳、生食パンの夕食。

d1021.hatenadiary.jp