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 捜査関係者が明かすには、

「そもそもの発端は、彼女が知人男性をキム容疑者が経営する代官山の会員制バーに誘い、個室で2人きりになったこと。しかもこの男性は彼女の元カレだった。その様子を店内にある防犯カメラで見た夫は、後から男性の所へ夫婦揃って押しかけ、録画した映像を証拠に飲食代名目で法外な値段を請求して恐喝したのです。つまり彼女は全ての現場に同席して事情を知る立場にあったわけです」

 一方の知人男性は“ハメられた”と訴えてもいるそうで、奇妙な三角関係が背後にあると睨んだ警察は彼女への事情聴取を行ったのだ。被害届は渋谷署に出されたが、後に外国人の粗暴犯を扱う本庁の組織犯罪対策2課が捜査を担っている。

 実際、事件が発覚してから2日後の今月5日、道端が所属事務所の公式サイトで発表したお詫び文では、

〈今回の夫の発言は、私が知人の男性と身体を密着させ飲酒していたことを夫が疑い、そのことで夫がお相手の方を責めた結果、なされたものでした〉

 と認めるに至ったが、この釈明に首を傾げるのはスポーツ紙の芸能担当記者だ。

「人気商売の芸能人が、形に残る書面で夫とは違う男性と〈身体を密着させ飲酒していた〉と認めるのは異例です。これまで築きあげてきたセレブでママタレというイメージをかなぐり捨ててまで、彼女が踏み込んだ発言をしたのは、一部で囁かれている“美人局疑惑”を払拭するためとも言われています。あくまで身体を密着させていただけで、それ以上の関係や意図はなかったと主張したいのでは」

 警察は捜査を続けているが、今後の芸能活動への影響は避けられまい。

 一連の疑惑について道端の所属事務所へ尋ねると、

「そういった事実はないと聞いておりますので、コメントは差し控えさせて頂きます」

 と答えるのみ。

 かつて道端と仕事で接点のあった芸能レポーター佐々木博之氏はこう話す。

「海外でセレブ姉妹と言われるヒルトン姉妹やカーダシアン姉妹はお金持ちたるバックグラウンドがありますが、道端姉妹はキャラクターだけで実際に会っても背伸びしていた印象は否めません。自分の夫が脅迫している場にいたのに止めもしないという時点で、普通の感覚を持つ人ではないことが明らかになりました。今後、テレビなどで活動することは難しいと思います」

 私は雄大や妻の優里(27歳、懲役8年)の取材を行ったが、裁判を傍聴して感じたのは公判で語られた話と、取材で明らかになった事実に少なからぬ「ズレ」があったことだ。

 公判では、検察側も弁護側も都合の悪い事実を隠したがるものだ。結果として、そこで明らかになることと、現実の乖離が起こる。

 では、隠されていた話とは何だったのか。判決が出た今、時系列に基づいて主なことについて述べてみたい。

 公判で明らかになったことの1つは、雄大の不安定な遍歴だ。

 雄大は大学を卒業して上場企業に勤めるが、仕事の精神的ストレスから会社を辞めて実家のある北海道にもどり、キャバクラで黒服として働いたと語った。その後、彼は知人に誘われて香川県高松市に移り住み、同じくキャバクラで黒服として勤務した。

 この店で知り合ったのが、ホステスである8歳年下の23歳だった優里だ。優里には離婚した前夫との間に子供がいた。結愛ちゃんである。

 雄大は優里の妊娠をきっかけに入籍し、結愛ちゃんを養子にした。

 優里の方は、香川県善通寺市で4人きょうだいの末っ子として生まれ育った。兄や親族が逮捕されるなど、地域では肩身の狭い思いをして過ごしていた。高校卒業後、間もなく妊娠して結婚するも、DVが原因で離婚。地元にいい仕事がなかったため、毎晩、高松市のキャバクラへ働きに行った。

 優里は寂しがり屋で恋に溺れるタイプだったらしく、同僚の話ではキャバクラ店でも数人の黒服と関係を持っていたという。シングルマザーとして地方で先の見えない暮らしをする孤独や不安があったのだろう。周囲の友人もほとんど将来の見通しが立たない若い子持ちの女性たちだった。

 そんな中で出会ったのが、雄大だった。彼は「大卒」で「東京の上場企業」で働いていたことを自慢げに語り、「この店は俺がいなければ回らない」と豪語していた。運動神経もよく、博識で話も楽しい。優里は瞬く間に心を奪われた。

 2人の共通の友人は語る。

「優里は雄大にベタぼれで、『ドストライク』だって言ってました。彼女から猛アタックして付き合いがはじまったんです。裁判でDVがあったといわれていた時期も、俺らから見ればすごく仲良くしてましたよ。優里は雄大のことを大好きで仕方がないって感じで、雄大も亭主関白っぽく振る舞ってました」

 雄大にとって年下の弱い立場の優里は自分を良く見せるのに格好の相手だった。彼は結愛ちゃんをかわいがり、旅行へつれて行ったり、好きなものをプレゼントするなどして心からかわいがった。優里にしてみれば、雄大は自分と娘を不安定な生活から救い上げてくれる存在だった。

 メディアでは、雄大のDVや虐待が長男誕生の直後にはじまったことから、実子を得たことで結愛ちゃんへの愛情が薄らいだというように報じられてきた。だが、公判でも報道でも、まったく明らかにならなかった事実がある。それは、雄大が実家の親に結婚を猛反対されていたということだ。

 雄大と実家ぐるみの付き合いだった友人によれば、雄大は父親から虐待ともいえる暴力を受けて育っていたそうだ。頭部の骨が変形するほどだったという。雄大は父親と距離があった一方で母親とは仲が良く、東京の会社を辞めて北海道にもどったのは、その母親と妹を助けるためでもあった。

 北海道から香川県へ移って結婚を決めた時、雄大は母親にそのことを報告した。すると、母親からこんなことを言われたそうだ。

「離婚歴のある女性との結婚は認めない。連れ子(結愛ちゃん)だって父親が誰かもわからないじゃないの」

 優里と結婚したら縁を切るくらいに責められたという。

 だが、雄大は母親の反対を押し切って優里と結婚し、結愛ちゃんを養子にした。これによって、彼は理想的な家庭をつくることで母親を見返そうと考えた。それが家族に認めてもらう唯一の方法だったのだ。

 しかし、入籍後間もなく、雄大は理想と現実の差異に気が付く。優里は社会経験がほとんどなく、生活や人間関係に関する常識に疎く、子育てについての認識も足りないように感じた。それゆえ、雄大は「自分が何とかしなければ」と考え、必要以上に優里に生活態度の改善を迫ったり、結愛ちゃんに過剰な勉強を強いるようになる。

 この頃、雄大は岡山に暮らす祖父母や友人のもとに家族をつれていき。結愛ちゃんがどれだけ優秀かを自慢していた。人一倍勉強ができて、かわいく、礼儀正しいのだとアピールしていたのだ。自分が「理想の家族」をつくり上げていることを示したかったのだろう。だが、優里と結愛ちゃんにしてみれば、それは無理やり押し付けられた勝手な理想でしかなかった。