外資系企業に勤めてわかった「日本人の働き方が“あまちゃん”である理由」
— 文春オンライン (@bunshun_online) 2020年2月24日
「言われたことをきちんとこなす人」が評価されているが…… #牧野知弘 #文春オンラインhttps://t.co/58ukk9keDv
これまで日本人は勤勉な国民だと言われてきた。朝から晩までよく働く。これは以前より多くの外国人から指摘されてきたことだ。日本人は残業も長いし、休暇もとらない。
一方で外国人、特に西洋人と呼ばれる人たちは、家族を大切にし、休暇はきちんととる。いつまでも会社に残ることもなく、定時に帰る。このような反省にたって今、日本社会では「働き方改革」なる大運動が推進されている。
こうした就業環境の是正自体はまことに結構なことである。だがこれで本当に日本人、特に事務系勤労者の労働生産性は高まったといえるのだろうか。残念なことに聞こえてくるのは仕事を積み残してしまい、夜や休日には会社に居られない社員たちが家に持ち帰ったり、早朝出社したりする姿だ。残業代が減って、早く会社を出ても遊びに行く金がない、などという情けない話も耳にする。
会社での評価の仕方にも変化がみられる。以前のようにモーレツ社員が推奨されなくなった結果、時間内に無難に仕事を片付ける社員のみが評価される傾向にあるようだ。つまり仕事上の冒険をしない、言われたことをきちんとこなす人が評価される時代になったともいえようか。激しく残業をする、もう少しラディカルに言えば、会社から求められている以上に仕事をするような社員が評価されることが少なくなった。
古い話で恐縮だが、私は大学を卒業して勤めた銀行をわずか3年で辞め、外資系コンサルティングファームに転職をした。
外資系であっても当然、入社時には会社の様々なルールや制度の説明を受ける。それは当時の私にとってはとても新鮮かつ魅力的な内容だった。特に次の3点はそれまでの日本の会社では考えられないものだった。
・残業という概念はない(年俸制)
・いつ会社に来てもよいし、来なくてもよい
・休暇は好きなときにとってよい。暇ならどんなにとってもかまわない
ところが、私はその後3年間ほどこの外資系コンサルティングファームにお世話になったが、結論から言えば長期の休暇なんてとんでもない、毎晩深夜まで残業の連続だった。つまり、年俸制なので自分の時給はどんどん減っていった。
では一方で同じ会社で働く外国人社員たちはどうだったか。実は彼らは、私たち日本人社員以上によく働く人たちだった。時間という概念ではなく、「効率」という意味合いで彼らは実に上手に働くのだ。
まず、朝が早い。仕事が立て込んでくると早朝から彼らはオフィスに来て働く。ランチはほとんどが「出前」だ。当時のパートナーだったドイツ人はマグロの赤身が大好物。赤身だけがのった寿司を一桶、ほとんど毎日のようにランチで食べていた。ちょっと味覚が変なのではないかと思ったが、ランチで外に出る時間も惜しんで働いていたということだ。
早朝から働いている外国人社員は夕方5時や6時になるとさっと帰ってしまう。しかし「実働時間」で考えると実に効率的な働き方をしているともいえるのである。
一方の我々日本人スタッフはどうだったであろうか。まず、言い訳になるが通勤時間が長い。外国人スタッフは赴任手当のようなものがあるので、代々木や広尾といった都心部に与えられた住宅からやってくる。しかも車での通勤はあたりまえ。
ところが日本人スタッフは朝の「くそ混み」電車で通勤は1時間。最初からハンデがある。だが彼らの仕事での集中力は、我々日本人には到底かなわないようなものだった。
日本人は昼間も雑談をしたり、ちょっとお茶をしたり、意外と「働いていない」時間が多くある。仕事のストレスを解消にちょっと一杯などと居酒屋にいたりすれば、翌日の仕事効率にかえって支障が出たりする。結局積み残した仕事を休日も会社に出てきて片付けることとなる。
私から見ていると外国人は休日をしっかりと「休む」。「休息」するために平日は猛烈に働くという概念が確立しているように見えた。これにはキリスト教の倫理観もおおいに影響しているのではないかと思われる。日本人はこうした時間調整能力に欠ける傾向がある。結局週末にやればいいや、と仕事を「先送り」してしまうこともありがちだった。
それで、ってどういうことだ。怪訝な顔をする私にリーダーは言った。
「うん、君は一生懸命やってくれた。納期も守った。分析に間違いもなかった。でもそれだけだよね。だいたい一生懸命やることなんてあたりまえだよ。そうじゃなかったらクビだよね、ははは」
翻って、働き方改革が進む今の日本の企業社会ではどうだろうか。決められた時間内に決められた仕事を忠実にこなしていくことだけが評価されてはいないだろうか。ともすると学校の内申書のように“教師”の印象を良くすることだけに専心して、肝心の仕事の意義やそこから見える新しいフィールドの存在に気づかない社員ばかりが評価されるようになってはいないだろうか。
一生懸命なんてあたりまえ、なのだ。
塩沼:「世の中を変えよう」と思っても、明日とか急にはなかなか変わらないと思います。「なぜ千日回峰行、こんな行をしたんですか?」と言われて、10代のときによく言っていた言葉は「世の中のため人のために、私は精一杯修行をしたい」ということでした。
ある日、そういう言葉をおそらく耳にした師匠が、お茶を飲んでいるときに笑い話で「坊さんなんていうのは、世の中のため人のためということはあんまり言わんほうがええな」と。
「世のため人のためというのは当たり前なんだ。まず自分自身がしっかりと心身ともに徳のある人間に成長すれば、自然と世の中のためになっている。『世のため人のため』という人間に限って、どこかで必ず自分のためになるような動きをしているものだ。だから人の為と書いて『偽り』と書くんじゃ」と。
そういう「世のため人のため」という大切な宝物の言葉は、心の奥底にしまって。そして、いろんな人との調和ですね。「自分だけが」ではなくて。自分自身もしっかりする。そして、しっかりした自分とみなさん、どんな人とでも相和して調和をしていく。この自律と協調性が大切だと思います。
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