NHK BS1 03/07 20:00 BS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄~戦後政治はこうして作られた 昭和編」 #nhkbs1 #BS1スペシャル https://t.co/LPlvJ6uLtl
— NHK BS1 (@NHK_BS1) March 7, 2020
NHKのBS「独占告白 渡辺恒雄」を見ています。読売の主筆室はこんなに広いんですね。 pic.twitter.com/AbA69thwrf
— 小川一 (@pinpinkiri) March 7, 2020
渡邊恒雄が軍国主義への抵抗を貫けた根拠は、誰にも侵すことができない内面の道徳律の確立でした。しかしそれがどのように後々保守政治家のブレーンになっていくことと繋がっているのか。 pic.twitter.com/5ZtDgjc9x1
— こたつぬこ (@sangituyama) March 8, 2020
戦前の家父長下では恒雄が全財産を相続し、一家の柱として責任を負わねばならなかった。母・花はいつもこう言って恒雄を叱咤したという。「お前は総領だ[8]。総領というのは跡継ぎだ[8]。だからお前は勉強して偉くならないかん。成績も全甲(全学科の成績が優秀であること)でないと、援助してくれている目黒の伯父さんに報告できない。」
第一志望の府立高校尋常科(現:都立桜修館中等教育学校)、第二志望の武蔵高校尋常科(現:私立武蔵高)、第三志望の府立一中(現在の都立日比谷高)と、続け様に受験に失敗し、ようやく第四志望の開成中(現:開成高)にビリに近い成績ですべり込んだ。同い年のいとこが府立一中に合格したこともあって母・花は「あんなボロ中学に入って情けない」と親類の前でオイオイ泣いたという。
1939年(昭和14年)4月、開成中学校に入学。同中学3年生の時、哲学の道を志し、日々哲学書ばかり読むようになる。また反軍少年であり、旧制高校の記念祭では上級生らと夕闇の中蜂起して、軍国主義を吹聴する校長ほかの教職員を襲撃して殴っている。勤労動員された航空機の工場では、密かに不良品を作り、抵抗した。
1943年(昭和18年)4月、開成4年修了で東京高等学校(現:東京大学・東京大学教育学部附属中等教育学校)に入学。網野善彦、氏家齊一郎が尋常科四年に進級した1943年(昭和18年)4月、一学年上の高等科に入ってきた。氏家によると、渡邉との出会いは6月頃、東高の校庭であった。以来、2人は共に軽演劇場や純喫茶に繰り出す仲になった。
1945年(昭和20年)4月、東京帝国大学文学部哲学科に入学。太平洋戦争で徴兵され、近衛師団に配属。渡邊の回顧録によれば陸軍二等兵としての軍隊生活で上官から暴行を受けたという。
東京大学在学中の1945年12月、日本共産党に入党を申し込む。日本青年共産同盟の同盟員としてビラ貼りや演説会の勧誘など下積みのような活動を経験して、1947年頃、正式な党員として認められる。東大学生細胞(共産党が地域・職場・学園などに設けた末端組織の旧称、現在の「支部」)に所属し、他大学でも演説を行い党員を増やしたが、1947年12月、自ら離党届を提出。離党後の彼を、しんぶん赤旗は「戦後の一時期に入党した渡辺氏は、青春を燃やした日々が懐かしいのか、いまでも日本共産党に入っていたことをよく口にしている」と評している。氏家とともに母校である東京高等学校へオルグに行った際に、インターハイを目指す後輩の野球部員達に対して「野球なんてくだらないものをする時ではない!」と共産党への入党を勧めた。
#自灯明法灯明
「人間相互の関係を支配する崇高な理想」とは、隣人愛・信頼・平和といったような、自主的な人間の結合として成立する民主的社会の存立のために欠くことのできない、人間と人間との関係を律する最高の道徳則――いわばカントが、星をちりばめた天にも比した「胸の内の道徳則」のようなもの――を意味する、と解することができようか。
#互尊独尊
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
カントの墓標に刻まれた Der bestirnte Himmel über mir,das moralische Gesetz in mir.「上なる星空、衷なる妙法」は人間が永遠に失つてはならない妙心である。この天籟(てんらい)the celestial passion ともいふべきものが、東洋文化の真髄なのである。
全く生臭い人情で政治は動いている
— イチゴ嫌い (@obray26) March 7, 2020
大野伴睦の最側近渡辺恒雄#独占告白渡辺恒雄
日弁連内政治って、国政における支持政党とか思想傾向とかはじつはほとんど関係なくて、もっとべつな論理と思惑で動いている面が多々あるということにこの業界に何年かおってぼんやり気付きはじめたんですが、会長をひとり選ぶとなるとまたいろいろ考えるところはあったりなかったり。私は、なんとなく
— 弁護士 戸舘圭之 (@todateyoshiyuki) March 7, 2020
東京都杉並区成田西二丁目にある都立高等学校。
最寄り駅は京王電鉄浜田山駅。
初代校長西村房太郎が、決定したばかりの校地(現校地)への生徒の通学区域を予想し、その範囲をカバーすると思われる地域名(旧豊多摩郡)をとって校名とした。
渡辺恒雄のやべえ番組を見ています
— ころすけ (@monkeyppp) March 7, 2020
93才の渡辺恒雄のインタビュー。大野伴睦の懐刀として、中曽根康弘と極めて近く、韓国国交回復や沖縄返還で一新聞記者以上の立役者で戦後の日本政治の中枢にこんなに食い込んでたなんて驚き。 https://t.co/XkqIfnbilH
— polarstar (@harihari55) March 8, 2020
【独占告白 #渡辺恒雄 戦後政治はこうして作られた 昭和編】70年にわたって日本政治の実像を見つめ続けてきた読売新聞グループのトップ・渡辺恒雄氏の独占インタビューが実現。証言ドキュメントで戦後日本の歩みをたどる。 ≪#BS1スペシャル≫ #NHKオンデマンド で配信開始 https://t.co/nwfeuVUfvY
— NHKオンデマンド (@nhk_ondemand) March 8, 2020
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