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東京都は8日午後3時時点の速報値で、都内で新たに429人新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表しました。

1日の感染の確認が400人を超えるのは2日連続です。

都によりますと、感染が確認されたのは10歳未満から90代までの男女合わせて429人です。

1日の感染の確認が400人を超えるのは2日連続です。

また、200人を超えるのは12日連続です。

429人のうち、20代と30代は合わせて274人で、およそ64%を占めています。

一方、8日の時点で、重症の患者は、7日より2人増えて25人だということです。

これで都内で感染が確認された人は、1万5536人になります。

東京都は、都内の感染状況は非常に厳しく、最大限の警戒が必要だとして、ことしのお盆や夏休み期間は都外への旅行や帰省、夜間の会食、遠くへの外出を控えるよう呼びかけています。

 この事件で“襲撃対象”にされたことの意味は決して小さくない。裏を返せば、それほど青年将校(およびその背後にいた軍首脳部)にとって“排除”すべき人間だと判断されたことになるからだ。

 とりわけ陸軍大臣参謀総長と並ぶ「陸軍三長官」の一人だった渡辺教育総監は、青年将校らにとっては同じ陸軍の上官にあたり、その点では内紛や権力抗争の色合いも濃くなる。しかも、標的とされた斎藤元首相や岡田啓介首相、鈴木貫太郎侍従長(のち首相)らが海軍出身の政治家だったのに対して、渡辺は唯一人、現役の陸軍軍人だった。その渡辺がなぜ襲撃対象とされたのか——詳しい経緯は、今も明確になっていない。

 青年将校らの後ろ盾になっていたとされる真崎甚三郎大将が教育総監の任を更迭され、その後任に渡辺が就いたことや、事件の前年に渡辺が「天皇機関説」を支持するような発言をしたと受け取られたことが原因とする見方もある。だがその一方で、事件直前まで渡辺は襲撃対象に入っていなかったとする情報もあり、判然としない部分も多い。

 そんな渡辺が強く主張していたことの一つが「非戦(あるいは避戦)」の思想だった。前掲書『渡辺錠太郎伝』には、渡辺と新聞記者との印象的なやりとりが紹介されている。

 記者から「これからは、日本も世界の軍事大国ですねえ」と言われた渡辺は、第一次世界大戦末期から大戦後にかけて欧州に駐在した経験をもとに、次のように返答する。

「いや、その軍事大国というのが心配だ。産業経済や国民生活がそれに伴なっての大国ならばよろしいが——軍事だけが独り走りをした大国は何よりも心配だ。ドイツもなかなか偉い国であったが、戦争だけは大間違いをやらかした。どこの国でも軍事力が大きくなると、戦争がやりたくなる。だが、どんな事があっても、戦争ばかりはやっちゃあイケナイ」

「今後の戦争はこれまで考えていたような軍隊と軍隊とだけの生やさしいものではない。一度戦う以上は、何がなんでも勝たねばならぬが、勝っても、負けても、国民のすべてが悲惨のどん底に落ち入らざるを得ない。私は戦い破れたドイツ、オーストリーばかりでなく、勝った国のイギリス、フランス、ベルギー、オランダなどもつぶさに見て来たが、どこもかしこもみじめな有様であった。日本も世界の列強にならねばならぬが、しかし、どうでも戦争だけはしない覚悟が必要である」

 渡辺は、戦争で疲弊した欧州各国の現実をつぶさに見たことで、「非戦」の思想を持つようになった。そして、その目的を達するために日本は軍事力を整備しなくてはいけないと考えるに至ったという。二・二六事件で亡くなる2年ほど前の昭和9年3月に、日比谷公会堂で行なった「日露戦争の回顧と将来戦における国防について」という講演では、こんなふうに述べている。

「申すまでもなく戦争は悲惨なものでございますから戦争を避けていつも事を平和に済ますことが出来ればこれに越したことはないのでございます。

 しかしながら利害を異にしまする各国間の紛争はいつでもこれをうまく協調して平和に済ますことは難しいことと思います。それは現にこれまでにおける国際連盟軍縮会議の状況を見ても判ることでありまして現在の世界の情勢では戦争を絶対に絶滅するということは難しいことと思います。これがためには万一の場合に処するためにいわゆる備えあれば憂なし、こういう境地に立たなければならぬと思います。

 言い換えますればたとえ敵が攻撃をして来ても負けない。すなわち敵がわが国を攻めても勝つことができない。こういう備えがこちらにありましたらならば恐らく戦争は始まらぬと思います。」(講演の友社『講演の友』第三十二号より)

渡辺錠太郎伝』の著者で歴史研究者の岩井秀一郎氏は、渡辺の非戦思想をこう解説する。

「渡辺にとって平和とは『願う』ものではなく、『実力で維持する』ものだったと思われます。しかも、国民もまた平和を維持するためにきちんとコストをかけるべきである、と考えていたようです。いわゆる非武装中立とか武力放棄といった空想的平和主義者とは明らかに違います。むしろ近代的な兵力を整えることで、実際に戦火を交えなくても済むような強い国家を目指していたようです。

 渡辺は日本軍の『攻撃精神の誤用』と『精神万能主義』も強く批判していました。さらに、航空本部長も歴任し、『防空なくして国防なし』と説いて防空の重要性を強調していたり、ドイツ軍の敗因として戦線の拡大による補給の軽視を問題視したりしていたといいます。その点では、のちに泥沼の戦争へと突き進んでいった日本軍の本質的な課題や問題点に、いち早く警鐘を鳴らしていた軍人の一人だったといえると思います」

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