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#おやつ

それによりますと、去年1年間の外食や冷凍食品を除くギョーザの1世帯当たりの購入額は、浜松市が3766円で、ライバルの宇都宮市を(3693円)73円の僅差で上回り、日本一となりました。

浜松市は去年、宇都宮市に850円余りの差で敗れて2位となっていて、2年ぶりに日本一の座を奪還しました。

市役所では5日朝、職員が集計結果を確認し、首位への返り咲きがわかると、歓声と拍手で沸いていました。

今回は、上半期の集計で宮崎市が首位に立ち、新たなライバルが出現する中、浜松市は下半期で徐々に追い上げ、11月分で首位を奪ってその座を守り抜きました。

浜松市の観光・シティプロモーション課の北嶋秀明課長は「上半期を見て『これはまずい』と思っていましたが、市民の皆さんが頑張ってくれました。コロナ禍で市内の飲食業は大変なので、明るい話題が提供できてよかったです」と話していました。

そして、ライバルの宇都宮市宮崎市に「今後も競いあいながら一緒にギョーザ文化を盛り上げていきましょう」とエールを送っていました。

「ギョーザのまち」として知られる宇都宮市の去年1年間の1世帯当たりのギョーザの購入額が浜松市に次いで2位となり、2年連続の日本一はなりませんでした。

総務省の家計調査によりますと、去年1年間の外食や冷凍食品を除く1世帯当たりのギョーザの購入額は、浜松市が3766円でトップ、前の年にトップだった宇都宮市は73円差の3693円で2位となり、宇都宮市の2年連続の日本一はなりませんでした。

宇都宮市役所では、職員たちが午前8時半からの総務省の発表を見守りましたが、日本一を逃したことが分かると「順位に一喜一憂しない」などと冷静に受け止めていました。

宇都宮市は、平成22年まで15年連続で日本一の座を守っていましたが、ここ数年はご当地グルメとしてギョーザをPRしている浜松市とのトップ争いが続いているほか、去年の購入額では、3位の宮崎市に23円差に迫られる結果となりました。

宇都宮市観光交流課の柿沼仁係長は「コロナの影響で観光は大きな打撃を受けたが、ギョーザを観光の柱にして宇都宮市を盛り上げていきたい」と話していました。

また、市内のギョーザ店でつくる宇都宮餃子会の鈴木章弘事務局長は「栄養価が高く免疫力がつくギョーザを多くの人に食べてもらうため、他の地域と一緒に日本全体で盛り上げていきたい」と話していました。

去年上半期のギョーザの購入額が初めて1位になった宮崎市

5日発表された年間ランキングでは3位となりました。

宮崎市は、総務省が毎年実施する都道府県の県庁所在地や政令指定都市を対象にした家計調査で、去年上半期のギョーザの購入額が宇都宮市浜松市を抑えて初めて1位になり、年間王者獲得を目指してPRを行ってきました。

注目の年間ランキングは「焼き餃子協会」の小野寺力代表理事が東京からリモートで発表し、宮崎市では市役所に関係者が集まり結果発表を待ちました。

年間ランキングの結果は、1位は浜松市、2位が宇都宮市で「ギョーザ2強」がその実力を発揮し、宮崎市は惜しくも3位でした。

ただ、購入額は、浜松市が3766円、宮崎市は3670円でその差はわずか96円でした。

また、購入回数では宮崎市が全国1位を獲得したということです。

小野寺代表理事は「全国的な知名度が上がれば宮崎市のギョーザはもっと盛り上がると思うのでこれからもがんばってください」とエールを送っていました。

年間王者を目指してPR活動を続けてきた宮崎市ぎょうざ協議会の渡辺愛香会長は「3位という結果は少し残念ですが、浜松市宇都宮市に迫れたことはうれしいです。ことしこそは年間1位を獲得できるようにこれからもPRに力をいれていきたいです」と話していました。

#ショルダーバッグ

#食事

電子部品大手の「日本電産」は5日、三菱重工業の子会社で滋賀県栗東市に本社のある三菱重工工作機械」のすべての株式を取得すると発表しました。

ことし5月ごろに取得を終える予定だとしていますが、買収金額については公表していません。

三菱重工工作機械は工作機械事業を手がけ、自動車用の減速機やトランスミッションのギヤなどの加工技術に強みがあるということです。

日本電産は、主力のモーターについてはEV=電気自動車向けの開発に年間200億円をあてています。

今回の買収を通じて関連部品であるギヤの生産能力も強化することで、電気自動車の市場拡大を見据えた対応を強化することにしています。

住友銀行の頭取を務め、自動車メーカーのマツダをはじめ多くの企業の再建にたずさわった巽外夫氏が亡くなりました。97歳でした。

巽外夫氏は、昭和22年に当時の住友銀行に入り、本店で営業部の副部長や融資部長などを歴任し、多くの企業の再建にたずさわりました。

特に、自動車メーカーのマツダをめぐっては、前身の「東洋工業」の頃から再建に携わり、アメリカの自動車メーカーのフォードと資本提携を結ぶ際に橋渡し役として尽力しました。

巽氏は、昭和62年から6年近く住友銀行の頭取を務めました。

この間、不明朗な資金取り引きが事件化した商社「イトマン」の処理をめぐり住友銀行の中興の祖とされ長年、経営のトップに就いていた当時の磯田一郎会長に退任を迫るなど、事件の処理にも力を尽くしました。

平成9年に会長から相談役に退いたあとは、関西経済同友会の代表幹事などを務めました。

巽氏は、先月31日、老衰のため亡くなりました。

97歳でした。

#アウトドア#交通