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 40年前の10月5日、三浦友和(69才)との婚約と同時に芸能界引退を発表して7か月が経っていた。百恵の生の姿が見られる最後の機会とあって、会場は異様な熱気に包まれていた。姿がステージに現れると、客席はその一挙一動に固唾をのむ。百恵は一気に2曲を歌い上げ、こう口を開いた。

《今日のこの日を見守っていただける。こんな幸せなことはありません。これから本当に短い時間ですけど、思い切り悔いを残すことのないように精一杯、歌っていきたいと思います》

 百恵はデビューするまでの小学、中学時代を神奈川・横須賀で過ごした。海軍基地からほど近い、潮の香りが漂う町だ。『横須賀サンセット・サンライズ』『I CAME FROM 横須賀』と続き、一呼吸置くと、ふるさとへの思いを吐露した。

《ふるさと。そう問われる度に「横須賀です」、そう答えてきました》

 母子家庭で育った百恵は決して裕福な家庭ではなかった。狭い借家で母と妹と3人で身を寄せ合った横須賀の生活を百恵は振り返る。

《私にとってはあの町がとても懐かしいふるさとのように思えるのです。風の香り、潮の音、夕焼けの色、坂道……遠くに見える海。学校、図書館、友達。

 あの町を離れた8年間で、もしかしたら私はすでに異邦人になってしまっているのかもしれない。そんな寂しさをふと感じることがあります。8年間飛び越えて戻ってあの町に立てたら、きっと私自身はいまとはまったく違った人間になっていただろうなって。でも望んでみてもそれは仕方のないことなのです。

 私の中であの町がふるさととそう呼べる限り、あの町は変わりなく私を迎え入れてくれると思います。なぜならばあの町は、横須賀は、私のすべての原点だと思うから》

 美化することも飾ることもなく、淡々と語る口調が深みを増す。

「彼女が横須賀で過ごした6年は簡単な月日ではなかった。それでもそこを原点と言い切り、包み隠さず明かす強さが彼女の魅力でもあった」(百恵を知る芸能関係者)

 百恵に硬派なイメージをつけたといわれる『プレイバックPart2』。「馬鹿にしないでよ」とすごむ顔とは別に、私生活は《本質はおとなしい方です》と明かす。そこから『横須賀ストーリー』まで7曲熱唱後、ふと口元に憂いを帯びた笑みを浮かべ、人生について語った。

《人間は最終的にひとりだから”なんてぼそっとつぶやいたかたがいらっしゃって、それを聞きながら、ふと思ったんです。確かに最終的にはひとりかもしれない。でもひとりかもしれないけど、それまでどんな人たちとどんなかかわり方をして、どんなふうに生きてきたのかというのが、とても大事なんだと思います。最後にたったひとりになったときにも、きっとそんな思い出があるとないとでは、全然寂しさが違うって、そんな気がするんです》

 すべての曲が《私の分身》という百恵が特にお気に入りだというのは『いい日旅立ち』だ。そんなエピソードとともに好きな言葉を挙げた。それは“女”、そして“一期一会”。

《なぜ好きなのと言われても困るんですけど、そのひとつの字から受ける感じがとても好きで、いままで何度となく“常に女でありたい”、そう言い続けてきました。そのほかに『一期一会』という言葉があります。たくさんの人間が生きていて、呼吸をしていて……でも、そんな中で言葉を交わしたり見つめ合って笑い合える。時にはけんかしたりもする。そんな触れ合いが持てるのは本当にごくわずか。そんな縁をこれから先ずっと大事にしていきたい》

 たくさんの幸せよりたったひとつのその幸せを自分でつかみたい。そんな思いで自ら書いた詞が『一恵』だった。

 ファンの涙をさそったのは『曼珠沙華』の後、『秋桜』の言葉だった。百恵を女手一つで育て上げた母は、このステージから約9年後、孫の顔を見て安心したかのように息を引き取っている。母への思いを強く語る百恵の姿に思いを重ねずにはいられない場面でもあった。

《私は、いま21才の女として、嫁ぐ前の女としてふと思うんですが、自分たちがいまこうやって生きて、そしていろんな人たちと巡り会って、いろんなかかわり方をして、私は皆さんと会ってそして歌を歌ってきて、いろんなことで悩んだり苦しんだり、泣いたり笑ったりしている。でも、それはすべて私も皆さんも、いま生きているからできることなんだろうな。何がいいんだろうって思ったとき、健康で生きていられるということがいちばんいいんだろうな、素晴らしいんだろうなって思う。

 だから、こんな素晴らしい出会いや、それからこんなすてきな人生や、それを与えてくれたのがやはりお母さん。皆さんのお母さんも、私の母もとても、やっぱり素晴らしいんだな。素晴らしい母という存在がいたから、私たちはこの一瞬を過ごしていられるんだな。皆さんもお母さんを大事にしてください。私も大事に、これからずっと大事にしていきます》

 真っ青なドレスのまま袖に消え、再び姿を見せたとき、百恵は純白に包まれていた。純白ドレスに白いマイク、そして髪には、かすみ草が添えられている。ファンの前で見せた花嫁衣装だった。

《皆さん本当にどうもありがとう。私が選んだ結論、とてもわがままな生き方だと思いながら、押し通してしまいます。8年間、一緒に歩いてきた皆さんが『幸せに』ってそう言ってくれる言葉がいちばんうれしくて。皆さんの心を裏切らないように、精一杯、さりげなく生きていきたいと思います。いま、皆さんに『ありがとう』という言葉をどれだけ重ねても、私の気持ちには追いつけないと思います》

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小事に忠なる者は大事にも忠なり。小事に不忠なる者は大事にも不忠なり。

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小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。

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ヨハネが目撃した神の愛 高原剛一郎