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11月8日、予定ではその日に日本を離れるはずだった小室圭さんが、空港に姿を見せることはなかった。

「ニューヨークの法律事務所に就職したばかりの小室さんは、10月26日の結婚会見後、間を置かずに渡米する予定でした。オンラインで少しは業務を行えるとはいえ、新入社員の立場でプライベートな休暇をそんなに長く取れるはずがない。とにかくすぐに帰国し、業務に戻るように求められていたそうです」(皇室記者)

 ところが、渡米予定を4日後に控えた11月4日、秋篠宮紀子さまの父で、小室さんにとっては義理の祖父にあたる学習院大学名誉教授の川嶋辰彦さん(享年81)がこの世を去った。6日に家族葬が行われ、翌7日に荼毘に付された。そのお別れの場に眞子さんとともに立ち会った小室さんは、葬儀が終わっているのに、なぜか渡米を延期した。

「義理の祖父ほどの関係性であれば、一連の葬儀が終われば翌日には仕事に戻るのが一般的です。しかし小室さんは祖父の死去を理由に渡米を見送りました。“傷心の眞子さんに寄り添うため”といったところでしょうか。

 ただ、別の一面を見れば、夫婦で宮内庁の職員に買い物をさせるなどしたうえ、税金で多くのSPをつけているわけです。アメリカで“厳しい立場”で働くより、日本の高級マンションでセレブ生活を送る方が、はるかに居心地がいいでしょうね」(前出・皇室記者)

「小室さんと眞子さんのニューヨーク生活は、早晩立ち行かなくなるだろう」

 この事態を受け、宮内庁の一部では「小室夫妻が早々に日本に帰ってきたらどうするか」のシミュレーションが始められているという。

「一部では眞子さんはニューヨークの美術館に勤務すると報じられていますが、一般人としての生活経験がほとんどないのに、異国の地で司法浪人の夫を支えながら生きていくことができるのか。現実を知れば、元皇族としてなにかと優遇される日本の方が、結局は過ごしやすいと感じるのではないでしょうか。

 実際、いまも宮内庁のサポートのもと、SPつきで高級ウイークリーマンションで暮らせている。渡米したとしても数か月、長くても1~2年で“やっぱり無理だ”と日本に戻らざるを得なくなるでしょう」(前出・宮内庁関係者)

 眞子さんの計画には、すでに綻びが見えている。無論、日本に戻っても、夫婦ふたりだけで盤石な生活を送れるわけではない。

「小室さんが以前勤めていた法律事務所に戻っても、パラリーガルの年収は300万円程度。しかも、日本の司法試験の方がよっぽど難しい」(前出・皇室記者)

 それでは、眞子さんの“元皇族としての品位”はどう守られるのか。

秋篠宮家の援助がなければ成り立たないのは明白です。元を辿れば税金である秋篠宮家の私費で、なし崩し的に“スネかじり”のセレブ生活を送ることになるのではないでしょうか。現実味を帯びてきた“再び皇室の庇護に入ること”は、眞子さんにとってさらに表情を曇らせる出来事といっていい」(前出・皇室記者)

眞子さんにとっても、夫の不合格は想定外だったのではないか。

不合格を知った眞子さんが、それから4日後の11月2日、秋篠宮邸のある赤坂御用地に1人で「里帰り」していたことが報じられた。

宮内庁関係者は赤坂御用地に入った理由を『荷物の整理のため』としている。午後4時半すぎに御用地を出るまで7時間以上の滞在となった。午後6時45分ごろタクシーでマンションに戻った時には終始うつむいていた」(スポーツニッポン11月3日付)

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小室眞子が通っていた国際基督教大学で、眞子の元カレとヤリーサーでの未成年飲酒・合宿写真が流出!!

眞子が最初に付き合ったこの男とは、写真流出に激怒した紀子によって破局!!

明治維新のテロで明治天皇が「箕作圭吾(みつくりけいご)にすり替わらなかったら、眞子は千葉の朝鮮人の漁師の娘のままで、この写真のようにヤンキーになって平凡な人生だっただろう。

#カトリック

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#天皇家

「『古事記』『日本書紀』(記紀)では、初代神武天皇以来、天皇は一度も途絶えることのない血縁関係によって結ばれていることが強調されています。しかし、記紀の伝承を丁寧に読み込み、中国・南朝の宋の歴史書宋書』の記述と比較すると、5世紀代の“倭王”には複数の系統があり、王族同士が激しく対立していたことが分かります。具体的には、第16代仁徳天皇、17代履中天皇に続く仁徳系と、第19代允恭天皇から始まる允恭系には血縁関係が存在しなかった可能性が高い。さらに、そのどちらもが男系としては途絶えています。万世一系と呼んでもよい統一された王統が現れるのは、6世紀の継体天皇以降です」

 さらに、記紀の記述からは、彼ら王族とは別に王を名乗る“周縁”王族が存在し、朝鮮半島との交易を武器に大きな力をもった“海人集団”と密接な関係を築いていたことが分かるという。周縁王族と海人集団は倭王に対して支配・従属関係にありながら時に対立する、複雑な間柄であった。

「当時、鉄や高価な織物は朝鮮半島からの輸入に頼っていました。特に、農耕器具や武器には欠かせない鉄をいかに手にするかは、当時の人々にとって大きな関心事だったでしょう。そのため、外洋航海技術をもつ海人集団などの人々が権力を握ることが出来た。彼らと結びついた豪族の中には、“ホムチワケ王”など、自ら王を名乗るものも現れました。5世紀の王権はまだ不安定で、支配関係も流動的だったため、彼らのような王族と豪族の境界に位置する曖昧な存在があり得たのでしょう」

 倭王権による“支配”を語るとき、6世紀前半から後半にかけての欽明天皇の頃にできた部民制、国造制などの支配制度を以て説明されることが多い。しかし、5世紀にも制度以前の支配があったはずだ、と古市さんは語る。

「今回の本では、制度化される以前の統治体制として、王宮について検討しました。王宮は王族、そこに仕える人、物資や武器が集まる結節点になります。例えば、大和の長谷(はつせ/現在の奈良県桜井市)の王宮には、王宮に仕える人々がハツセ部という名で列島の各地から集められ、日々の業務を負担していました。長谷の王宮を拠点とする王族たちは、各地の人々をハツセ部として編成し、租税も含めさまざまな負担を課すことで支配を進めていったと考えています」

 王の支配体制を検討するためには、当時の人々の生活を考えることが欠かせない。現存する文献資料が限られる古代史研究の中で、人々の生活をいかに読み解くかを本書は教えてくれる。

記紀風土記の中には、この日本列島の中で生きていた人々の伝承が残されています。もちろんフィクションも多いのですが、例えば彼らがいかなる神を信仰していたかを読み解くことによって、当時の生活の一端を見ることができる。書かれたテキストをすべて嘘だと言ってしまうのではなく、虚実をできる限り明らかにしていくことが必要だと思っています」