大正11年に大阪で誕生した、#OSK日本歌劇団 が創立100周年を迎える。未婚の女性だけで構成される大衆娯楽演芸劇団で、8年前にお隣の兵庫県に誕生していた宝塚歌劇団とともに〈歌の宝塚、ダンスのOSK〉と並び称された。
— デイリー新潮 (@dailyshincho) 2022年1月22日
昨年トップスターに就任した #楊琳 が劇団の魅力を語るhttps://t.co/8ujBdtNlBE
苦難乗り越え「桜満開」に OSK日本歌劇団100周年、京都大阪で公演へ https://t.co/8gPKRt2rSM
— 京都新聞 (@kyoto_np) 2022年1月22日
感謝を胸に舞台へ、困難や逆境もバネに OSK娘役トップ舞美りらに聞く https://t.co/LxSoPTNQXO
— 京都新聞 (@kyoto_np) January 22, 2022
1927年(昭和2年)、小学校卒業後、宝塚音楽歌劇学校(現・宝塚音楽学校)を受験、歌・踊りは申し分ない実力をもちながら不合格となる。理由は当時のシヅ子が上背が小さい上、極度の痩せ型であったため、過酷な宝塚生活に耐えられないのではとの学校側の判断があったという。しかし同年「松竹楽劇部生徒養成所」(OSK日本歌劇団のかつての養成学校・日本歌劇学校の前身)を受験し合格、娘役・三笠静子の芸名で『日本八景おどり』で初舞台を踏む。その後、1933年(昭和8年)、『秋のおどり・女鳴神』の演技でスターの仲間入りを果たす。1935年(昭和10年)、昭和天皇の末弟・澄宮崇仁親王が三笠宮家を創立したのを機に、三笠姓を避諱して笠置シズ子に改名。
東京ブギウギ/笠置シヅ子
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