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源頼家の長男・一幡の最期は、『吾妻鏡』と『愚管抄』とでは内容が大きく異なります。
吾妻鏡建仁3年(1203)9月2日条には、比企能員を失った比企一族は、小御所と呼ばれる一幡の館に立て籠もり攻め寄せる義時らに抗戦。奮戦するも軍勢の勢いには対抗できず、館に火を放って滅亡し、一幡も彼らと運命を共にしたと記されています。しかし『愚管抄』には、一幡は母(せつ)とともに館の小門から脱出。同年11月3日に義時によって探し出され、義時の郎党・藤馬の手によって殺害されたと記されています。鎌倉幕府の公式の歴史書ともいえる『吾妻鏡』では、“義時の命で一幡が命を落とした”と記載を残すのは都合が悪かったのかもしれません。

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