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市村さんは大阪市
片山さんは南の岸和田で柄が悪い地域
互いに仲悪い

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カツカレーだけどカツは出来合のものを買ってきたもんね(´・ω・`)

わくまゆが笑顔で迎えてたw

斜めから見ると超かわいい

腕だしてきたもんね

半袖になった

わくまゆと色違いのお揃いの衣装のもんねちゃん(´・ω・`)

日に日に垢抜けていくな
女は怖い

慈しむような女帝ワロタ w

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 師匠の五代目春風亭柳昇は本当にやさしい師匠で、僕は入門以来、ほぼ怒られたことがないんですよ。

 普通、弟子は師匠の家に通って修行するものなんですけど、「家に来て掃除しても落語は上手にならないから、来なくていい。用があったら呼ぶから」っていうんです。「その時間をあげるから、お芝居とか映画とか、そういうのをたくさん観なさい」と。

 で、よく言っていたのは、「噺家さんもいろんな人を見なさい。売れている人は、なんで売れているのか見ていたら分かるから。売れていない人もちゃんと見なさい、その人がなんで売れていないのか分かるから」。前座の僕は、そういうもんかなあと思って聞いていたんです。

 ある日、師匠の鞄持ちで行った地方の落語会で、師匠は十枚ぐらい、他の若手の落語家さんたちは二枚ずつくらい色紙を頼まれたんですね。色紙とサインペンは楽屋に用意されていましたが、師匠は鞄から自前の筆記用具を取り出し、名前を書き、絵筆で絵を描いて色をつけ、落款を押して、一枚、一枚、実に丁寧に書いていくんです。で、他の人を見たら、サインペンでひゅ~って名前だけ書いている。枚数少ないし、時間はたっぷりあるのに。

「あっ、こういうことなんだ! 一事が万事だ」と思いました。受け取った方がうわぁって大喜びするように書いている人と適当に書いている人の差が、こういう仕事には最終的に出てくるんだなと。だから僕も、下手だけど丁寧に一所懸命書こうと心がけています。

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お茶の入れ方とか、着物のたたみ方もそうですが、ご飯の食べ方にはすごくうるさかったですね。

身なりから、言葉遣いから、所作から、きれいにやんなきゃいけない。

師匠は「型があっての型破り」って必ず言いますね。ちゃんと古典の型を踏襲した上で新作を作らないと、講談の新作にならないよと。

それは嘘をつかないで、一生懸命やることだよと。人柄、了見、来てくださった方が、喜ぶ高座がどういうものかを考えて、それを一生懸命やる姿勢をお客さんが見れば、お客さんは喜んでくださるよと。

天海 うん。「宝塚で苦労したこと、大変だったことは何ですか」と聞かれることはよくあります。当時の裏話を聞きたいと思ってくださる方はたくさんいらっしゃるとは思うんだけど、楽しく観ていてくださった時に、裏で何があって、私がどんな思いでいたかを情報として入れたくないじゃないですか。特にネガティブなことや、こんな苦労してました、なんて話をすることは、良いことだとは思えないんです。これは宝塚の教えということではなく、私自身の考えでね。

 宝塚とは、とても多くの人が目指す場所で、そんな素晴らしい場所に立たせてもらっていた私が「大変です、つらいです」というのは、あり得ないな、と。観てくださった思い出を大事にしてほしいと思っています。

松下 もともと宝塚に入られたきっかけはなんですか。

天海 宝塚というよりも、お芝居をする人になりたかったんですよね。私、本名は祐里なんですけど、幼稚園の時、お遊戯会で先生に「祐里ちゃんは声が大きくてお芝居が上手ね」と褒めてもらったことがあって。子どもだから単純に「祐里ちゃんはお芝居上手なんだ! 祐里ちゃんはお芝居する人になる」と思いこんだの。そこからですね。

天海 1987年に宝塚に入団し、月組トップスターになったのは93年です。「異端児」とよく言われてましたし、自分でもそうだなと思っていました。トップになるまでの段階は一応踏んでいるけれど、「男役10年で一人前」と言われていたので、ちゃんと年輪を重ねた男役さんではないということは自覚していました。

 当時は、なぜ自分がこういう立場に置かれているのかをすごく考えてましたね。上級生たちに比べて、私はバババッときてしまっているから経験がない。だけど、トップに置いていただいたということは、上級生たちと自分の持ち味が違うからだろう、と。そう思うしかないよね。上級生が身につけているものが自分にはない。だったら新鮮に、若いままでいくしかない。これを、ひとつの取り柄にすればいいんじゃないかとは思っていました。そう思うことで自分を支えるというか。

松下 そこで「自分は特別なんだ」と思われなかったんですね。

天海 そんなこと全然思わないよ! すごい上級生たちが本当にたくさんいらっしゃる中で、私はたまたま居させてもらっただけだとずっと思っていました。

 よく女優への足がかりとして宝塚に入ったんだろう、と言われることがあるけれど、いやいや、その程度の思いだったら、もっと早くやめてます。自分のいた世界に尊敬や愛情がない限り、自分の一番いい青春時代をかけて頑張ることなんてできないですよ。

 私があまり宝塚のことを話さないのは、あまりに自分にとって大切なものだからということもありますね。話すことによって、大切な思い出が薄まるような気がして。

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