これは江戸時代の即位礼の図ですが、この日と月の象徴も四神も全部明治以降は削除されています。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
臣下の装束も今と違いますね。
中華風のものは全て撤廃して、和風に作り替えた。
これは神道も同じです。
明治以降の日本文化の変革。
こういう形であった事は覚えておいて良いと思うのです。 pic.twitter.com/fPhbJjSIsJ
江戸期の即位礼は即位灌頂が伴われ、高御座の中で二条家と摂関家が天皇に即位印=智拳印=四海領掌印を伝授して、荼枳尼天真言を唱えて荼枳尼天=天照大神と天皇が一体化してから、臣下や六合に即位を宣言するが、諸説あり。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
即位礼や即位灌頂については、様々な学術論文があるのでそちらを参照のこと pic.twitter.com/8N6iyNqUhq
伯家神道の秘伝書だった『伯家部類』には大嘗祭(当時は大嘗会)で天皇自らが奏上される『主上大嘗会降神御祝文』という天皇が天神地祇を降ろす秘文が掲載されている。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
「掛も畏き天神地祇八百萬神の広前に、神物を備え貯てほぎて白さく、是れ朕が奉る神衣を〜」とあり、
最後に「御拍短手」と拍手する
即位礼の時は、天皇は伊勢神宮に勅使を遣わして奉幣するのですが、『伯家部類』には江戸時代の『御即位由奉幣祝詞』という天皇が奏上する祝詞があり『掛畏き天照皇太神広前に恐み恐みも申て申さく、朕薄徳を以て天之日嗣を伝給ことは〜」と始まるが、もうこの時点で尊皇神職は号泣してしまいます。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
現在の天皇陛下も江戸期同様の御告文(おつげぶみ)を御奏上なされますね pic.twitter.com/dQFt9TUi9X
— 古川陽明 (@furunomitama) October 22, 2019
このテレビの一文は全体の最後の部分だけです。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 22, 2019
昭和三年の『昭和天皇即位礼当日賢所大前の儀御告文』
この部分の読みは、
『御名(裕仁)おぢなきみをもてこのおほみわざをうけつぎ、けふのいくひのたるひにあまつひつぎしろしめすゐやわざをおこなふとして、おほまへをいつきまつることを(続く)
(承前)『たひらけくやすらけくきこしめして、あまつひつぎをよろづちあきのながあきに、おほやしまとよあしはらのみづほのくにを、やすくにとたひらけくしろしめさしめたまへとまをすことをきこしめせと、かしこみかしこみもまをす』
— 古川陽明 (@furunomitama) October 22, 2019
江戸時代の天皇の装束です。
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これは伯家神道の学頭であった臼井雅胤が書き残した「御即位見聞私記」より。 pic.twitter.com/bFGY51VlSI
これは伯家神道の学頭であった臼井雅胤が書き残した「御即位見聞私記」より。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
日月と四神です。
装束もこういう威儀物というか象徴も、昔の方が良いなと私は個人的に思っております。 pic.twitter.com/SQcohJTYWR
日と月の象徴は日像纛旛・月像纛旛という形で簡略化されてますね。個人的には東アジアの天子の象徴であった袞衣と日本特有の四面の冕冠がなくなってしまったのが一番悲しい。
— 敎資 (@norisuke37451) October 21, 2019
さらに今は臣下の代表が洋装になり京都御所ではなく東京で行うようになってしまった。
まさにその通りで、時代の変化で仕方ないのでしょうけど、今の形は味気ない感じがします。
— 古川陽明 (@furunomitama) October 21, 2019
#天皇家
寛永13年5月24日、”独眼竜”伊達政宗が亡くなりました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 23, 2023
政宗は徳川家光から「伊達の親父様」と慕われ、政宗も家光に諫言できるほど信頼を得ていました。
政宗が亡くなった時、幕府の命令で江戸、京都の庶民に対しても服すことが命じられ、これは外様大名に対する礼としては異例の対応でした。 pic.twitter.com/qhY1SLPSmT
伊達政宗の忌日に合わせて、5月24日は伊達巻の日とされています。 pic.twitter.com/tpXu8B5lPG
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 23, 2023
1883年5月24日、ニューヨークのブルックリン橋が開通しました。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 23, 2023
アメリカで最も古い吊橋の一つであると同時に、鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもありました。
1889年、このブルックリン橋に影響を受けた香川県議の大久保諶之丞は、現在の瀬戸大橋にあたる橋を提案したと言われています。 pic.twitter.com/5EbnPobZyM
今日はゴルフ場記念日です。
— RekiShock(レキショック)@日本史情報発信中 (@Reki_Shock_) May 23, 2023
1903年5月24日、日本初のゴルフ場、神戸ゴルフ倶楽部がオープンしました。
当時六甲山には外国人の別荘が多くあり、彼らのレジャーと社交の場として造成されました。
敗戦後は米軍に接収されますが、会員に実業家、政治家などが多かったことから、早々に返還されています。 pic.twitter.com/c5Tsep3Ml0
「ラストエンペラー」の腕時計が8.6億円で落札、香港で競売 https://t.co/lqXVxs8XrQ
— ロイター (@ReutersJapan) May 24, 2023
映画「ラストエンペラー」で描かれた中国・清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が所有していた腕時計が23日、香港でオークションに掛けられ、4900万香港ドル(約8億6500万円)の高値で落札された。
競売会社によると、この時計はスイスの高級時計メーカー、パテックフィリップ製で、香港在住のアジア人収集家が落札。予想価格の300万ドルを大幅に上回った。
手数料を除いた価格は4000万香港ドルだった。
時計はソ連で抑留された溥儀がロシア人通訳のゲオルギー・ペルミャコフに贈ったもの。2001年にペルミャコフにインタビューしたジャーナリストのラッセル・ワーキング氏によると、溥儀はソ連を離れる日に時計をペルミャコフに渡したという。
西洋美術史入門の決定版! 『カラー版 名画を見る眼(Ⅰ・Ⅱ)』の特集ページをオープンしました。本書で扱う名画の画像や試し読みをご用意しています。
— 岩波新書編集部 (@Iwanami_Shinsho) May 18, 2023
『カラー版 名画を見る眼Ⅰ──油彩画誕生からマネまで』はいよいよ5/19発売(小社出庫日)です!
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