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《レース概要》
MGCは、上位2位までに入れば、パリオリンピックの代表に内定する選考レースで、男子は61人の選手が出場しました。国立競技場をスタートとフィニッシュにして都内を巡るコースで行われたレースでは雨が降る中、スタート直後から36歳の川内優輝選手が先頭に立ちました。

川内選手はその後も力強い走りで先頭を守りましたが、35キロすぎに東京オリンピック6位入賞の大迫傑選手などがいる2位の集団に追いつかれました。

その後は川内選手と大迫選手に加え小山選手、赤崎選手の4人によるトップ争いになり39キロすぎに小山選手が抜け出しました。

小山直城選手が優勝
レースはこのまま小山選手がトップを守り2時間8分57秒のタイムで優勝し、2位には赤崎選手が2時間9分6秒で入り、ともにパリオリンピックの代表に内定しました。

赤崎暁選手が2位
3位には2時間9分11秒で大迫選手が入り、4位は川内選手で2時間9分18秒でした。今後、対象となるレースで設定記録より速いタイムを出す選手がいない場合、3位の大迫選手が代表に内定することになります。

一方、日本記録保持者の鈴木健吾選手と日本歴代4位のタイムを持つ其田健也選手は途中棄権しました。

《レース後の談話》
優勝 小山直城「目標のひとつだったので達成できてうれしい」
優勝した小山直城選手は「自分からは仕掛けず、無駄な動きをせずに集中していこうと思ってレースに臨んだ。力勝負だと負けてしまうので集団の力を利用しようと思っていた。運もあったがしっかり勝てたことがよかった」とレースを振り返りました。パリオリンピックに向けては「目標のひとつだったので達成できてうれしく思う。8位入賞を目指し、ひとつでもいい順位を取れるように頑張りたい」と意気込んでいました。

2位 赤崎暁「後ろは気にせず前だけを見て走った」
2位に入った赤崎暁選手は「今まで以上に練習ができていたので自信を持って挑むことができた。後ろは気にせず前だけを見て走った。30キロ付近でここからが本当のレースだとしっかり気持ちを切り替えられた。ラストスパートの練習をしっかりやってきて、うまくレースではまってくれた。陸上人生最大の目標が日本代表になることで、こんなに早く代表になれるとは思わずうれしい」と振り返りました。パリオリンピックに向けては「しっかり練習し、8位入賞を目指して頑張りたい」と意気込んでいました。

3位 大迫傑「新しい自分のマラソンの形が見えた」
3位に入った大迫傑選手は「難しいレースだったが、自分自身の心と体の強さを最低限はあらわすことができた。37キロくらいからは勝負どころとわかっていたが、なかなか対応できなかった。前回よりも落ち着いてレースを進められたので、1つ新しい自分のマラソンの形が見えたと思う」と振り返りました。その上で今後については「パリオリンピックの内定はできなかったが、最低限の結果は出せた。しっかり休養を取って今後のレースをどうするかは心と体、コーチと相談しながら考えたい」と話していました。

4位 川内優輝「力を出し切ったので悔いはない」
スタート直後から先頭に立って引っ張り、4位となった川内優輝選手は「何人かついて来るかと思っていたら誰も来なかったので『じゃあ行くか』と思った。15キロまで、ハーフまで頑張ろうと走っているうちに35キロまでトップだった」と振り返りました。その上で「自分の力を出し切ったので悔いはない。結果的にオリンピックには届かなかったが、やりきりました」とすがすがしい表情で話していました。

《代表内定選手の経歴は》
◆小山直城選手
埼玉県出身の26歳。オリンピックの代表に内定したのは初めてです。高校時代には都道府県対抗の全国男子駅伝で4区の区間賞を獲得し、東京農業大時代にはチームとしての箱根駅伝への出場はなりませんでしたが、2年生のときには関東学生連合の選手として4区を走りました。その後、実業団のHondaに入ってからも順調に成長を続け、全日本実業団駅伝ではことし、チームの連覇にも貢献しました。また、去年の東京マラソンでは初めてのマラソンながら2時間8分台をマークし、ことし7月にオーストラリアで行われた大会では2時間7分40秒の自己ベストをマークして優勝しました。

◆赤崎暁選手
熊本県出身の25歳。オリンピックの代表に内定したのは初めてです。高校時代、インターハイに出場した経験はありませんが拓殖大に入学後に実力を伸ばし、箱根駅伝には1年生の時から4年連続で出場しました。社会人(九電工)2年目からマラソンを始め、デビューから2大会連続で2時間9分台をマークしていて、このうち去年12月に行われた福岡国際マラソンでは2時間9分1秒の自己ベストでMGCへの出場権を獲得していました。

#マラソンMGC・男子・パリ五輪代表選考レース・上位2位・1位小山直城2位赤崎暁3位大迫傑4位川内優輝

《レース概要》
MGCは、上位2位までに入れば、その場でパリオリンピックの代表に内定する選考レースで、女子は24人の選手が出場しました。

レースは雨が降る中、国立競技場をスタートとフィニッシュとした都内を巡るコースで行われ、序盤は前回大会優勝の前田穂南選手や前回2位だった鈴木亜由子選手などの有力選手がトップ集団を形成しました。

そして23キロすぎで、一山選手と細田あい選手の2人が抜け出し、33キロ付近で一山選手が前に出ました。

鈴木優花選手がトップに
このあと一山選手がレースを引っ張りましたが、38キロすぎで追い上げてきた鈴木優花選手が一山選手をかわして先頭に立ち、そのまま力強い走りで突き放し2時間24分9秒のタイムでフィニッシュしました。

鈴木優花選手が優勝
鈴木選手は自己ベストのタイムを更新し、2位は2時間24分43秒で最後まで粘りの走りを見せた一山選手が入りました。

この結果、2人がパリオリンピックの代表に内定しました。

一山麻緒選手が2位
一方、3位には2時間24分50秒で細田選手が入り、来年の春までに行われる「ファイナルチャレンジ」の対象レースで、設定記録の2時間21分41秒より早いタイムの選手がいなければ、細田選手が3人目の代表に決まります。

《レース後の談話》
優勝 鈴木優花「日本で一番を取ることが大事」
優勝し初めてのオリンピック代表に内定した鈴木優花選手はレース後「予想どおりの展開で、プラン通りのレースができた。ほかの選手が前を引っ張ると思っていたので、あえてついて行きすぎず、自分のリズムで押していけば、最後の勝負のところで余裕を持って勝ちをねらいにいけると思っていた。冷静さを貫けたのが勝因かと思う。2位以内に入れば代表内定が決まるが、世界で戦うには日本で一番を取ることが大事だと思ったので、最後まで出しきることを考えて走った」とレースを振り返りました。そして「ずっと目標としてきた舞台のスタートラインにようやく立てるので、こみ上げるものがある。今まで背中を押してくれた全員に感謝したい」と話しました。その上で、来年のオリンピックに向けては「初めてだからこそ何も恐れることなく正々堂々と勝負していきたい」と話していました。

2位 一山麻緒「陸上をしてきた中で一番うれしい2位」
2位に入り、2大会連続のオリンピック代表に内定した一山麻緒選手は「今まで陸上をしてきた中で一番うれしい2位だった。オリンピックの内定が決まって本当にうれしい」と話していました。レース最終盤に、細田あい選手に追い上げられた場面については「3番手とあまり差がないことを走っていて感じていたので、ここで抜かれるわけにはいかないと思って、必死に走った」と振り返りました。そして東京オリンピックでは8位入賞だったことを踏まえ「東京オリンピックよりも思い切った走りをして、8位よりいい順位で走れるように頑張りたい」と話していました。

3位 細田あい「ショックだが次へ向けて頑張る」
3位だった細田あい選手は「代表権をねらっていたのでショックだったが、やりきったので、今は次へ向けて頑張ろうという気持ちだ」と前を向きました。23キロすぎで一山麻緒選手とともに先頭集団から抜け出した場面については「2位以内に入ることを決めていたので、一山選手が出た時点で挑戦してついて行こうと判断した」と振り返りました。そして「タイムだけをねらうレースでなく、勝ちにいくレースを経験できたのはプラスになった。『ファイナルチャレンジ』へ向け準備していきたい」と話していました。

《代表内定選手の経歴は》
◆鈴木優花選手
秋田県出身の24歳。大曲高校から大東文化大に進み、全日本大学女子駅伝では3年連続で区間賞を獲得するなど駅伝のエースとして活躍しました。大学卒業直前の2022年3月に名古屋ウィメンズマラソンで初マラソンに挑み、学生新記録となる2時間25分2秒のタイムをマークし、3回目のマラソンとなるMGCで自己ベストを更新しました。所属する第一生命では、世界選手権の女子マラソンで銀メダルを獲得した経験のある山下佐知子監督の指導を受け、着実に実力をつけてきました。

◆一山麻緒選手
鹿児島県出身の26歳。高校卒業後に陸上の強豪、ワコールに入って走りを磨き、トップランナーに成長しました。持ち味は先頭集団から離れずにレースを進め、最終盤で勝負を仕掛ける「粘り」の走りです。2019年のMGCでは6位でしたが、2020年の名古屋ウィメンズマラソンで2時間20分29秒の当時、日本歴代4位の好タイムで優勝し東京オリンピック代表の切符をつかみました。東京オリンピックでは33キロ付近まで先頭集団に食らいついて日本選手として4大会ぶりとなる8位入賞を果たしました。プライベートでは2021年に男子マラソン日本記録保持者の鈴木健吾選手と結婚し、夫婦でのパリオリンピック出場を目指しています。

#マラソンMGC・女子・パリ五輪代表選考レース・上位2位・1位鈴木優花2位一山麻緒)

3歳ひん馬で争うG1レースで最後に行われる秋華賞は改修工事の終わった京都競馬場で3年ぶりに開催され、芝2000メートルのコースに18頭が出走しました。

春に桜花賞オークスを制して単勝1.1倍の圧倒的1番人気に推されたリバティアイランドは、スタート直後から集団の中ほどにつけ、4コーナーでは一気に先頭を捉えました。

そして最後の直線で後続を突き放し、2着に1馬身差の2分1秒1のタイムで優勝して史上7頭目となる3歳ひん馬の3冠を達成しました。

リバティアイランドのデビューから手綱を取り続けている川田将雅騎手は「心から感動している。無事に自分の能力さえ発揮すれば圧倒的なパフォーマンスを発揮できる馬だ。歴史にも名を残すことができたので背負うものが大きくなったが、ふさわしい馬だと思う」とたたえました。

また、川田騎手は15日が38歳の誕生日で「ジョッキー生活20年目で競馬の神様がくれた最大のプレゼントだと思う」と話していました。

リバティアイランド 父は2冠馬のドゥラメンテ
リバティアイランドは2020年に北海道安平町で生まれたメスの馬で、父は2015年に皐月賞日本ダービーを制したドゥラメンテ、母もオーストラリアのG1レースで2勝を挙げています。

2歳となった去年7月のデビュー戦で初勝利を挙げ、2戦目は2着に敗れたものの続く、2歳ひん馬のナンバーワンを決めるG1レースでは、1番人気にこたえて勝利しました。

そして、ひん馬3冠の最初のレースとなることし4月の桜花賞ではスタートで出遅れ後方でのレースを強いられましたが、およそ500メートルある最後の直線で先行する馬たちをごぼう抜きして優勝しました。

続く、5月のオークスでも距離がこれまで走ってきた1600メートルから2400メートルに延長されるなか、2着に6馬身差をつける圧巻のレース運びで優勝し、三冠のかかった秋華賞を目指してきました。

「ひん馬3冠」達成の歴史
競馬のひん馬3冠は、現在、桜花賞オークス秋華賞の3歳のメスの馬だけが出走できる3つのG1レースをすべて制することで達成されます。

最初に達成したのは1986年のメジロラモーヌで、まだ秋華賞はなく当時は3歳ひん馬だけで行われていたエリザベス女王杯を制しての3冠でした。

メジロラモーヌ河内洋騎手
その後、1996年に秋華賞が創設され、2003年にスティルインラブ、2010年にアパパネ、2012年にジェンティルドンナ、2018年にアーモンドアイが3冠を達成しました。そして、3年前にデアリングタクトが史上初めてデビューから無敗でのひん馬3冠を成し遂げました。

今回のリバティアイランドは史上7頭目の3冠達成となりました。

一方、オスの馬は、皐月賞日本ダービー、それに菊花賞の3つのクラシックレースが対象です。無敗で達成したシンボリルドルフディープインパクト、コントレイルを含めてこれまでに8頭が3冠を達成しています。

#競馬(秋華賞・リバティアイランド・牝馬三冠・史上7頭目

IOC国際オリンピック委員会は15日、インドで開いた総会で、2030年と34年の冬のオリンピック・パラリンピックの開催地を同時に決定することを決めました。11月中にも候補地を絞り込む方針で、34年以降の大会招致に転換したばかりの札幌市への招致は極めて困難になりました。

IOCの総会はインドのムンバイで15日から始まり、3日間にわたって今後予定されるオリンピックの開催地選考のあり方や、各委員会からの提案について審議や採決が行われます。

初日の議題では、大会の開催地選考を担う『将来開催地委員会』から2030年と34年の冬のオリンピック・パラリンピックの開催地を2大会同時に決める案が提案され、IOC委員による投票で賛成多数で可決されました。

来月中にもそれぞれの大会の候補地の絞り込みが行われ、来年夏のパリオリンピックにあわせて行われる総会で、開催地が正式決定されるということです。

冬の大会をめぐっては、当初、2030年大会の招致を目指していた札幌市とJOC日本オリンピック委員会が、おととし夏の東京大会の汚職・談合事件などの影響で市民の理解が十分でないとして、34年以降の大会招致に方針を転換したばかりです。

2034年大会についてはアメリカのソルトレークシティーが地元の支持もあって有力とされ、札幌市への34年大会の招致は極めて困難になりました。

#IOC(総会「2030年と34年の冬の五輪パラ開催地同時決定」)

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#IOC(理事会「2030年と34年冬の五輪パラ開催地同時決定」・34年札幌五輪実現困難な情勢)

#スポーツ