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#天皇家

アメリカ・ハワイ唯一の日系人向けの日刊新聞で、1941年の真珠湾攻撃も伝えた「ハワイ報知」が、今月7日付けの新聞を最後に廃刊しました。

「ハワイ報知」は1912年に創刊されたハワイの日刊新聞で、当初はサトウキビ農場で働く日系人労働者の立場など日系人の人権問題を伝え、移民1世や2世に広く読まれました。

1941年、旧日本軍による真珠湾攻撃の際には、翌日の一面トップに「之ぞ我等の戦ひ(これぞわれらのたたかい)」と題した社説を掲載しました。

この中で「『起り得べからざる事』と思はれてゐた(思われていた)事が遂に起った。吾等(われら)の愛するこの布哇群島(ハワイ)は豫告(よこく)なしに攻撃された」としたうえで、「國籍、人種の如何を問はず、布哇の住民は米國に忠誠を誓ひ、各自が疑いを掛けられることなき様行動せねばならぬ。」として、日系人たちにアメリカへの忠誠を訴えました。

「ハワイ報知社」の吉田太郎社長は「祖国の日本が攻めてきて日系人社会が混乱をきたしている中で、まず第一にハワイに住む日系人の安全や地位の確保のために社説を書いたのだと思う」と話していました。

「ハワイ報知」は、日系人社会の世代交代で日本語を読むことができる人が減ったことや、新型コロナの感染拡大の影響でホテルや航空会社などの契約先を失ったことなどから売り上げが減少し、7日の新聞を最後に廃刊して111年の歴史に幕を閉じました。

編集局には読者から「なんとか続けられないか」という声や「よく頑張ってくれた」というお礼の電話が、次々にかかってきていました。

今後はこれまでに発刊された紙面のアーカイブ化を進めることになっていて、吉田社長は「ハワイの日系人社会でどのようなことが起きていたのかを知ってもらうツールとして使ってほしい」と話していました。

真珠湾攻撃から82年で追悼式典
82年前の1941年、日本時間の12月8日未明、旧日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦しました。

真珠湾を望むパールハーバー国立記念公園では現地時間の7日、追悼式典が開かれ、アメリカ軍の関係者や第2次世界大戦の退役軍人など2000人あまりが出席しました。

式典では、真珠湾への攻撃が始まった午前7時55分にあわせて出席者が黙とうし、死亡したおよそ2400人を悼みました。

そしてアメリカ軍インド太平洋軍のアキリーノ司令官が「当時を経験した先人たちの教訓は、まず真珠湾攻撃を忘れるなということ、つねにアメリカは警戒を解いてはならないということ、そして常に戦い、勝つための準備をしなければならないということだ」と述べ、国防を通じて平和を守る決意を強調しました。

また式典では沈没した戦艦アリゾナの乗組員の最後の生存者、ルー・コンターさん(102)が高齢のため出席がかなわず短いビデオメッセージを寄せたほか、コンターさんの親せきにあたる海兵隊の若い大尉が演説を行うなど、当時を体験した人の高齢化が進む中、教訓を語り継ぐための新たな取り組みも見られました。

平和公園パールハーバー国立記念公園は姉妹公園協定締結
アリゾナ記念館など真珠湾の歴史的な史跡を管理するパールハーバー国立記念公園は、ことし6月、広島市平和公園と姉妹公園協定を締結しました。

国立記念公園のトム・レザーマン管理監督者は「私たちが世界の平和に向けてともに取り組んでいく可能性を秘めているという点で重要な協定だ。ふたつの場所には第2次世界大戦に関係し、そこで命が失われたという共通点がある。具体的に起きたことは大きく異なるが、それぞれの場所で起きたことから学ぶことができる」と述べ協定の意義を強調しました。

また、広島で協定への懸念の声も出ていることについては「真珠湾と広島は同じ場所ではないし、公園の目的も異なる。しかし私たちは平和の大切さを訴えていくという点で一致した。私の理解では広島市は懸念点について市民と対話し、私たちはそうした意見を受けて合意の内容を修正していった」と協定の締結に向けては市民の意見が慎重に反映されたという見方を示しました。

そのうえで、パールハーバー国立記念公園がアメリカの歴史をたたえる内容になっているとの指摘については「戦艦アリゾナでは12月7日に1177人が亡くなった。記念館は彼らに敬意を示すために建てられ、名前が刻まれた。私たちは同じ過ちを繰り返さないためにここで何が起きたのかを訪れた人たちに知ってもらいたい。それは真珠湾と広島の双方にとって共通のテーマであり、協定はそのために結ばれたと言える」と述べ、パールハーバー国立記念公園でも事実を客観的に伝えることに力を入れていると説明しました。

82年前の1941年、日本時間の12月8日未明、旧日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が開戦しました。

真珠湾を望むパールハーバー国立記念公園では現地時間の7日、追悼式典が開かれ、アメリカ軍の関係者や第2次世界大戦の退役軍人など2000人余りが出席しました。

式典では、真珠湾への攻撃が始まった午前7時55分に合わせて出席者が黙とうし、死亡したおよそ2400人を悼みました。

そして、アメリカ軍インド太平洋軍のアキリーノ司令官が「当時を経験した先人たちの教訓は、まず真珠湾攻撃を忘れるなということ、つねにアメリカは警戒を解いてはならないということ、そして常に戦い、勝つための準備をしなければならないということだ」と述べ、国防を通じて平和を守る決意を強調しました。

また式典では沈没した戦艦アリゾナの乗組員の最後の生存者、ルー・コンターさん(102)が高齢のため出席がかなわず短いビデオメッセージを寄せたほか、コンターさんの親戚にあたる海兵隊の若い大尉が演説を行うなど、当時を体験した人の高齢化が進む中、教訓を語り継ぐための新たな取り組みも見られました。

パールハーバー国立記念公園 広島の平和公園と姉妹協定
アリゾナ記念館など真珠湾の歴史的な史跡を管理するパールハーバー国立記念公園はことし6月、広島市平和公園と姉妹公園協定を締結しました。

国立記念公園のトム・レザーマン管理監督者は、「私たちが世界の平和に向けてともに取り組んでいく可能性を秘めているという点で重要な協定だ。ふたつの場所には第2次世界大戦に関係し、そこで命が失われたという共通点がある。具体的に起きたことは大きく異なるが、それぞれの場所で起きたことから学ぶことができる」と述べ、協定の意義を強調しました。

また、広島で協定への懸念の声も出ていることについては、「真珠湾と広島は同じ場所ではないし、公園の目的も異なる。しかし私たちは平和の大切さを訴えていくという点で一致した。私の理解では広島市は懸念点について市民と対話し、私たちはそうした意見を受けて合意の内容を修正していった」と協定の締結に向けては市民の意見が慎重に反映されたという見方を示しました。

そのうえで、パールハーバー国立記念公園がアメリカの歴史をたたえる内容になっているとの指摘については、「戦艦アリゾナでは12月7日に1177人が亡くなった。記念館は彼らに敬意を示すために建てられ、名前が刻まれた。私たちは同じ過ちを繰り返さないためにここで何が起きたのかを訪れた人たちに知ってもらいたい。それは真珠湾と広島の双方にとって共通のテーマであり、協定はそのために結ばれたと言える」と述べ、パールハーバー国立記念公園でも事実を客観的に伝えることに力を入れていると説明しました。