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1996年11月23日、当時のビル・クリントン米大統領とファーストレディのヒラリー・クリントン氏を乗せた大統領専用機「エアフォースワン」は、目的地のマニラに向け着陸態勢に入ろうとしていた。そのとき、同行していた大統領警護隊(シークレットサービス)に、情報機関から不穏な情報が届けられた。空港からマニラ市街に向かう大統領の車列が通るルートに、爆発物が仕掛けられている、と。

警護官らは直ちに、クリントン夫妻が宿泊するホテルに向かう予備ルートに切り替えた。アジア太平洋経済協力会議(APEC)年次首脳会議のために来訪する米大統領を到着直後に暗殺しようという、国際武装組織アルカイダによるとみられている陰謀は、かくして失敗に終わった。

米大統領夫妻の車列が渋滞する代替ルートをノロノロと進んでいる間に、フィリピンの警備当局は、車列が通過するはずだった橋に仕掛けられた強力な爆発物のほか、近くに乗り捨てられたSUV(スポーツ多目的車)にカラシニコフ自動小銃AKー47が積まれているのを発見した。退役した警護官4人がロイターに明らかにした。

この暗殺計画は、アルカイダによる米国攻撃の最初期の試みの1つとして、2010年と19年に出版された書籍で簡単に触れられている。

今回、退役した大統領警護官8人(そのうち7人は事件当時マニラに派遣されていた)が、失敗に終わった計画について、ロイターにきわめて詳細な証言を寄せた。

ロイターでは、クリントン氏の生命を狙ったこの計画について、米連邦政府が捜査を行ったという裏付けを得られなかった。またロイターでは、情報機関が極秘の捜査を行ったかどうかを独自に確認することはできなかった。

ロイターが取材した複数の元警護官によれば、マニラでの事件には、未解決の疑問が残っているという。

「なぜ、捜査の進展を見守るためにマニラに留まるよう命じられなかったのか、ずっと不思議に思っている」と語るのは、今回初めて口を開いた7人の警護官の1人で、当時マニラに派遣された大統領警護隊の首席情報官を務めたグレゴリー・グロッド氏だ。「大統領がマニラを離れた翌日には帰国させられた」

大統領警護隊のアンソニー・ガグリルミ報道官は、「事件はあったが、今も機密扱いになっている」と話す。同報道官は、米国がとった対応について、その有無も含めてコメントを控えた。

クリントン元大統領に対しても、広報担当者とクリントン財団を通じて何度も取材を申し込んだが、回答は得られなかった。

当時クリントン政権で大統領首席補佐官を務めたレオン・パネッタ元中央情報局(CIA)長官は、この事件については承知していないが、大統領暗殺の企みがあったのであれば捜査しなければならないと話した。

「元首席補佐官としては非常に気になる。誰かがこの情報を棚上げにして、この種の実際にあった出来事を知っておくべき人の注意を惹かないようにしたのではないか、知りたいところだ」

1986年制定の法律では、他国の過激主義組織が米国籍保有者を海外で殺害しようと試みた場合、米国刑法上の罪に問われる。訴追には、司法長官の許可を得たうえで連邦捜査局FBI)が動くことになる。96年当時の司法長官は、故ジャネット・レノ氏だった。

マニラでの暗殺計画について、FBIはコメントを控えた。

当時マニラで駐フィリピン米国大使を務めていたトーマス・ハバード氏を含め4人の元米当局者は、ロイターに対し、失敗に終わった暗殺計画があったことを認めたが、米国による捜査やその後の対応についてはやはり承知していないと語る。

元指導者のウサマ・ビンラディン容疑者の死から13年経った現在では、アルカイダは衰退している。だが国連の専門家パネルは1月29日の報告書で、10月7日のイスラム組織ハマスによるイスラエル攻撃が「欧州のムスリム社会内で過激組織の新たな人材獲得に向けた取り組みを活発化させた」として、アルカイダによるハマス支持の宣伝工作を指摘している。

<不穏な機密情報>
前出のグロッド氏によれば、その後、ある米国の情報機関がこの暗殺計画について、ビンラディン容疑者の命令により、アルカイダ工作員と、アルカイダの影響下にあるとされるフィリピンのイスラム過激派集団アブサヤフによって立案されたものとの判断を示したという。

グロッド氏はこの情報機関を特定することを控えた。ロイターではこの評価について裏付けを得られず、またCIAはコメントを控えた。

シンクタンクの国際危機グループ(ICG)による2022年の報告によれば、アルカイダは無秩序な状態にあり、存命の指導者はごく少数に留まるという。

フィリピンの大統領府、外務省及び国家警察にコメントを求めたが、回答は得られなかった。
ロイターの取材に応じた元大統領警護官4人は、94年のクリントン氏によるマニラ訪問の数日前に、93年の世界貿易センタービル爆破事件の首謀者であるラムジ・ユセフ服役囚がマニラに滞在していたと話す。同容疑者の叔父であるハリド・シェイク・モハメド容疑者は、2001年9月の米同時多発攻撃の立案者であり、アブサヤフ戦闘員の訓練も行っていた。

ユセフ服役囚は終身刑禁錮240年の判決を受け、最高レベルの警備下にあるコロラド州の連邦刑務所で服役中だ。

95年に逮捕されたユセフ服役囚に対するFBIによる最初の尋問調書では、ユセフ服役囚はメディア報道を頼りにマニラ市内のクリントン大統領の訪問予定地を下見していたとされている。この尋問調書によれば、「(ユセフ服役囚は)車列の通過ルート上の1カ所に即席爆発装置を仕掛けることを検討していたとほのめかした」という。

この調書は、ユセフ服役囚は最終的に、警備が厳しく、攻撃のための時間が十分ではないという結論に達したと書いている。

元大統領警護官のうち3人は、ユセフ服役囚が(94年の)この時、96年の攻撃を準備していたのではないかと述べ、APEC首脳会議の日程が94年末には公になっていたと指摘する。
情報機関による報告書に詳しいというグロッド氏は、「(ユセフ服役囚は)一種の先遣隊だったと思う」と語る。

ユセフ服役囚の弁護士を務めたバーナード・クラインマン氏はロイターに対し、ユセフ容疑者が、失敗に終わった96年のクリントン氏暗殺計画に着手するために94年にマニラを訪れたことは「考えられる」と述べつつ、実際に関与したかどうかは疑わしいと話した。依頼人であるユセフ服役囚は「自分を実際の姿よりはるかに大きく見せようという」自慢屋だと説明する。

3人の元警護官は、先に現地入りした大統領警護隊のチームにとって、アルカイダとユセフ服役囚による脅威は不安要素の1つにすぎなかった、と語る。

フィリピン当局は、イスラム過激主義だけでなく共産主義の反政府勢力とも戦っており、クリントン夫妻到着の数日前にも、警察がマニラ空港とAPEC首脳会議の会場となったスービック湾のカンファレンスセンターでそれぞれ爆弾を発見していた。米国務省は、大統領夫妻到着の前日に、マニラ駐在の米国外交官らに対して脅威を警告している。

グロッド氏はロイターに対し、マニラ派遣は「(脅威関連の)情報という点で、自分にとっては過去最悪の先遣任務だった」と語る。

クリントン大統領のマニラ訪問に随行した軍事顧問のロバート・「バズ」・パターソン退役米空軍中佐によれば、マニラ訪問前には、最高機密とされる毎日の大統領向けブリーフィングでも、危険が大きく取り上げられたという。

<橋に仕掛けられた装置>
クリントン大統領がマニラに到着したのは夜だった。
エアフォースワン」が着陸態勢に入るなか、大統領警護隊のダニエル・ルイス警護官が、ホテルに向かう主要ルート上の「橋の上に爆発物」が仕掛けられたという情報を空港にいる大統領警護隊に伝達した。

機内のクリントン夫妻の居室の外では、大統領警護の随行部隊を指揮していたルイス・マーレッティ氏が、米情報機関で働く氏名不詳の当局者から、「橋上での婚礼」を話題にする通話を盗聴したと警告する電話を受け、同じ結論に達したという。

後に大統領警護隊長官に就任するマーレッティ氏はその数年前、「婚礼」とは「暗殺を意味するテロリストの符牒」であると特定する情報機関による報告に接していた。予定されていた車列のルートを見ると、クリントン夫妻が宿泊するホテルまでの主要ルート上に3カ所の橋があった。

マーレッティ氏は、盗聴対策を施した無線連絡でグロッド氏に「危険だ。ルートを変更する」と話したことを覚えているという。グロッド氏もこの件をめぐるマーレッティ氏の回想を裏付けている。

マーレッティ、ルイス、グロッドの3氏によれば、クリントン氏を狙った爆弾は本来のルート上にある橋の配電盤の上で発見されたという。3氏はそれぞれ1998年、2003年、2011年に大統領警護隊から退役している。

クリントン大統領の現地到着を伝えるロイターの映像では、爆発物処理班が橋の上の配電盤の側面に爆発物を取り付け、爆破する様子が映っている。配電盤の上部には爆弾は確認できなかった。

警護官らによれば、フィリピンの警備担当者が、橋の反対側の端に乗り捨てられていた赤い三菱自パジェロを回収したという。車内では複数の自動小銃AKー47が見つかり、犯人らはこの車で橋を封鎖し、クリントン大統領の車列に対して銃撃を加える計画だったものと考えられるという。

グロッドとマーレッティ両氏は、その翌朝、米国大使館で米情報機関当局者から暗殺計画について説明を受け、爆発物の写真を見せられたという。

爆発物は、TNT火薬が詰まった箱の上部に複数の小銃てき弾が据え付けられ、起爆装置としてノキア製携帯電話が使われていたという。ルイス氏と、マニラ現地警護チームの責任者だったクレイグ・アルマー氏も、後日その写真を見たと話している。

国務省テロ分析官のデニス・プルチンスキー氏は2020年、反米テロリズムの歴史を研究しているときに、この失敗した暗殺計画のことを知ったという。同氏は、クリントン大統領が1995年、米国民を標的とした国内外での「あらゆるテロ攻撃を積極的に抑止、無効化、対応」し、その責任者を「逮捕、訴追」することを宣言した大統領令第39号を発令したと指摘する。

98年8月、ケニアタンザニアの米国大使館がアルカイダによる自爆攻撃を受けて220人が死亡して、ようやくクリントン政権巡航ミサイルによる攻撃で報復した。

だがそれでも、ビンラディン容疑者による新たな攻撃計画を食い止めるには至らなかった。

トランプ前大統領の選挙陣営は28日、今年11月の大統領選の選挙資金集めについて、トランプ氏の集金額がバイデン大統領の額に及ばないとの見方を示した。

選挙陣営のアドバイザーは、記者との電話会議で「バイデン氏と同じ額の集金は決してできない」と述べ、集金額の差は、バイデン氏への富裕層の大口献金によるものだと指摘した。トランプ氏の選挙活動は、草の根の労働者階級の献金に支えられていると印象付けようとしているとみられる。

別のアドバイザーは「(トランプ氏は)全米の何十万という草の根の献金者によって支えられており、その全ての支持が票につながるのだから、むしろその方がいい」と強調した。
非営利団体オープンシークレッツによると、バイデン陣営がこれまで集めた資金は1億2870万ドルで、大口献金が占める割合は55%、小口献金は45%だった。

一方、トランプ氏の集金額は9610万ドルで、大口献金が64%、小口献金は36%だった。

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