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当時、雅子さまは外務省に入省されてまだ1年目。日によっては明け方に帰宅されることもあったが、翌朝には涼しい顔で出勤され、同僚から「小和田さんは、一体いつ寝ているのだろう?」と不思議がられていたという。

 終電に間に合わないことがほとんどだった雅子さまはその後、通勤の相棒にブルーグレーの乗用車「カローラII」を購入された。雅子さまの激務を支えた愛車は、ご成婚から30年以上が経っても現役だった──。

 天皇ご一家は5月2?7日、御料牧場(栃木県)で静養された。愛子さまにとっては、日本赤十字社(日赤)に就職後、初めてのご静養だった。

「ご一家は、厩舎で子馬ににんじんを与えられたほか、牧場内で栽培されているトマトやアスパラガス、キャベツやレタスなどを収穫して召し上がったそうです」(皇室記者)

 東京ドーム54個分という広い御料地内は、到底徒歩では移動できない。昨年4月のご静養時には、ご一家でサイクリングを楽しまれる様子もあった。

「今回のご滞在中には、ご一家での“ドライブ”のお時間がありました。陛下と愛子さまを乗せて、雅子さまがハンドルを握り牧場内を運転されました。お車は、雅子さまの愛車だったあの“カローラII”でした」(前出・皇室記者)

 車窓からは御料地内の爽やかな新緑がはっきりと見られ、いつもとは違う雰囲気に、ご家族での会話は弾んだに違いない。

カローラIIは、公務などに使う公用車とは別に、日頃は皇居内で管理、メンテナンスされています。ナンバープレートもついていますし、車検も通っていますから、公道を走ることも可能です。今回、ご静養に合わせて皇居から御料牧場まで運ばれたそうですよ」(宮内庁関係者)

 雅子さまカローラIIを購入されたのは、外務省入省後、英オックスフォード大学への留学から帰国された後の1990年だ。価格は当時約140万円だった。

「外務省の駐車場でカローラIIから降り、ベージュのトレンチコートの裾をなびかせながらオフィスへ入っていく雅子さまは、当時はまだ少なかったキャリアウーマンを絵に描いたようなお姿でした」(ベテラン皇室関係者)

 車内には、バッハ、ショパンなどのクラシック音楽をおさめたカセットテープがいくつも積まれていたという。その“相棒”は、雅子さまとともに皇室入りし、これまでの日々を見守ってきた。

「ご成婚にあたり、雅子さまはご実家から愛用の机やいす、ドレッサー、姿見、スキー板、絵画などを嫁入り道具としてお持ちになりました。そのうちの1つがカローラIIでした。ご成婚が決まったとき、カローラIIの売り上げは雅子さま効果で45%アップしたといわれています」(前出・ベテラン皇室関係者)

 背景には、陛下から「雅子さんのお乗りになっている車をお持ちください」というお言葉があったという。

雅子さまは外交官としてのキャリアに途中で区切りをつけ、皇室入りされました。身の回りの品々など、できるだけ結婚前と変わらないようにという陛下のご配慮だったのでしょう。もしかしたら、運転免許を取得されていない陛下が“ドライブ・デート”を期待されるお気持ちもあったのかもしれません」(前出・ベテラン皇室関係者)

 実際、皇太子妃時代には、赤坂御用地内のテニスコートや、旧東宮御所の建設時に工事の進行具合を見に行かれるときに、陛下を助手席に乗せ、雅子さま自ら運転されたという。

「通勤のために首都高を利用されていたほどですから、雅子さまの運転の腕は確かです。ただ、ご結婚直後には御用地内という慣れない場所での運転に緊張もされたのでしょう。未舗装の道路で路肩に乗り上げ、皇宮護衛官に“救出”されたこともあったそうです」(前出・ベテラン皇室関係者)

 当時から、愛車はご静養時などに御用邸に運ばれることもあった。1997年5月、那須御用邸(栃木県)でのご静養時には、陛下とご一緒に那須の一般道を走行されたこともある。

御用邸ご滞在中に、近くの酪農施設を訪問された帰りでした。高原なので信号機はないルートでしたが、民家が点在する一般道を15分ほどドライブされました。皇后となられたいまでは考えられないことです。

 またご静養時には、御用地に招いたご友人をお乗せになることもあったそうです。そうしたとき、陛下は気を使われて同乗されなかった。皇室入りしてからご苦労のあった雅子さまにとって、ドライブは気の置けないご友人との癒しの空間でもあったようです」(別の宮内庁関係者)

 かつてはご夫妻で、そしてお友達と楽しまれた愛車でのドライブに、今回は新社会人の愛子さまも同乗された。

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#天皇家

エジプトの大ピラミッドをはじめとするギザの古代遺跡は、サハラ砂漠の端にある孤立した場所に存在する。一部の考古学者らは以前、かつてナイル川がこれらのピラミッドの近くを流れ、4700年前に始まったピラミッドの建設を後押ししたという証拠を発見した。

学術誌「コミュニケーションズ・アース・アンド・エンバイロメント」に16日に発表された研究では、衛星画像を使い、堆積(たいせき)物の中心部を分析することで長い間農地と砂漠の下に埋もれていた長さ64キロの干上がったナイル川支流の地図を作成した。

この研究の筆頭著者エマン・ゴネイム氏は「これは、長い間不明だったナイル川の古代の支流を示す最初の地図を提供する初めての研究だ」と語る。

古代エジプト人は消滅した「アフラマト支流」を使って多数のピラミッドを建設した

この支流の幅は約0.5キロ、水深は少なくとも25メートルで、現代のナイル川に似ているという。

ゴネイム氏は、支流が大きく、長く、調査地域の31のピラミッドに近接していることは非常に重要な水路として機能していたことを強く示唆していると話す。

この川は、古代エジプト人がピラミッド建設に必要な膨大な量の建築資材や労働者を運搬する上で重要な役割を果たしていただろうという。

「我々の調査によると、調査地域のピラミッドの多くには、支流の流れに直交し、その川岸に直接終着する儀式用の高架歩道である土手道もある」

ゴネイム氏によると、川の痕跡は航空写真や光学衛星からの画像では見えない。実際、広範囲のレーダー衛星のデータから新たな地下水源を明らかにするかもしれない古代の川や湖を調査していて初めて思いがけない発見に至ったのだという。

エジプトで生まれ育ったゴネイム氏にとってピラミッド群は身近なものであり、なぜその場所にピラミッドが建てられたのか常に疑問に思っていた。ゴネイム氏は詳しく調査するために米国立科学財団に申請。地中探知レーダーと電磁気トモグラフィーを使って地上レベルで採取した地球物理学データから、ナイル川の古代の支流であることを確認した。調査チームは掘削装置を使って採取した土壌から、深さ約25メートルの河道と一致する砂質の堆積物を発見した。

この研究によれば、この支流の川岸沿いの農地や砂漠の下にはまだ「無数の」神殿が埋もれている可能性があるという。

なぜこの支流が干上がったのか、あるいは消滅したのかはまだ明らかになっていない。ゴネイム氏は干ばつと砂漠化がこの地域に砂を運び、川をふさいだと推測している。