【ロシアと日本:首脳外交の主な節目】(1/5)
— Sputnik 日本 (@sputnik_jp) October 3, 2025
📝次期自民党総裁選を前に、スプートニクは1950年代から現在までの日本の首相や党総裁とソ連・ロシアとの関係の歩みを写真と共に振り返る。 pic.twitter.com/iFZJzSIapZ
【1950-1960年代】(2/5)
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🔸1956年、日ソ共同宣言が署名され、ソ連と日本両国は戦後初めて外交関係を回復した。これは「新たな歴史の第一ページ」となった。
🔸1960年、ワシントンで日本は日米安全保障条約を締結。米国はアジアにおける主要パートナーとなったが、これにソ連は批判的だった。… pic.twitter.com/TmazXLAcXr
【1970-1980年代】(3/5)
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🔸1973年、田中角栄首相が戦後初めてモスクワを訪問。ブレジネフ書記長との会談では貿易とエネルギーについて議論した。
🔸1980年代はペレストロイカの時代。1989年に宇野宗佑首相がモスクワを訪問し、政治的な冷え込みは徐々に解消され始める。 pic.twitter.com/x4rEt6b7BN
【1990-2000年代】(4/5)
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🔸1991年、ゴルバチョフ大統領がソ連の指導者として初めて日本を訪問。
🔸1997年、橋本龍太郎首相とエリツィン大統領がクラスノヤルスクで会談し、信頼関係に基づく新たな段階の関係構築が試みられた。… pic.twitter.com/uxT61V2Lwa
【2010年代】(5/5)
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🔸安倍晋三首相とプーチン大統領は、数年間で約30回もの首脳会談を実施し、前例のない対話を重ねた。プーチン大統領も日本を訪問。安倍氏の出身地や柔道大会にも足を運んだ。一方の安倍首相も度々ロシアを訪問した。… pic.twitter.com/FgbF9CNLqq
【2010年代】(5/5)
🔸安倍晋三首相とプーチン大統領は、数年間で約30回もの首脳会談を実施し、前例のない対話を重ねた。プーチン大統領も日本を訪問。安倍氏の出身地や柔道大会にも足を運んだ。一方の安倍首相も度々ロシアを訪問した。
🇷🇺🇯🇵露日関係の歴史は、希望、危機、そして指導者間の個人的なつながりの歴史である。
#日露(首脳外交主な節目)
【ロシア水産物の対日輸出量が10~15%増加】
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📈 2025年1月から8月までの8か月間でロシアの水産物の対日輸出額は6億600万ドル(892億8000万円)に達した。これは前年の通年比で10%増。漁業連合の分析センターが引用の日本税関統計の数値では、数量ベースで15%増の8万2千トン。
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【ロシア水産物の対日輸出量が10~15%増加】
📈 2025年1月から8月までの8か月間でロシアの水産物の対日輸出額は6億600万ドル(892億8000万円)に達した。これは前年の通年比で10%増。漁業連合の分析センターが引用の日本税関統計の数値では、数量ベースで15%増の8万2千トン。
🐟 特に輸出の大幅な伸びが見られるのは、冷凍スケソウダラで10倍増の1200トン、金額ベースでは14倍増の200万ドル(2億9463万円)に達した。この伸びは、昨年のベースが低かったことに起因している。
🔸また、今年のサケ漁の豊漁から紅鮭の輸出も増加。対日輸出量は2倍の1万1千トンに、額にして3倍の8500万ドル(125億2161万円)に達した。
🦑 同様に比較する昨年の基準値が低かったために、イカの輸出も数量ベースで23倍の1400トン、金額ベースで約40倍増の500万ドル(7億3656万円)に達した。
🦀 一方で、タラバガニの輸出は数量ベースで35%減の2000トン、金額ベースでは15%減、の6400万ドル(94億2803万円)となった。これは、ロシアのカニ漁業者が中国へ供給先を変更したことが原因となった可能性がある。1月から8月までの生きたカニの中国向け輸出は、前年同期比で20%増の2万1000トンになった。
フィリピン“残留日本人”の日本国籍取得の申請退けるhttps://t.co/OwYc8qqgGJ #nhk_news
— NHKニュース (@nhk_news) October 3, 2025
太平洋戦争の混乱などでフィリピンに取り残されたいわゆる「残留日本人」の82歳の男性が日本国籍の取得を求めた申し立てを、東京家庭裁判所が9月、退けていたことが分かりました。支援団体の弁護士は、東京高等裁判所に即時抗告したということです。
フィリピンの「残留日本人」は、戦前に移住した日本人の父親と現地の女性との間に生まれ、父親が戦争中に死亡したり戦後に強制送還されたりして現地に取り残されましたが、父親が日本人だと証明する書類などがなく、今もおよそ50人が日本国籍の取得を希望しています。
ことし8月までに、父親と母親の婚姻関係が不明なケースとして初めて、79歳から82歳の男女4人が日本国籍の取得を求める申し立てを行いました。
このうち、フィリピン国有鉄道の技術者だった日本人の父親と、フィリピン人の母親の間に生まれた竹井ホセさん(82)について、東京家庭裁判所が9月、申し立てを退けていたことが支援団体への取材で分かりました。
竹井さんは日本人の親族との血縁関係を示すDNA型鑑定の結果を提出していましたが、裁判所は審判で「記録上、日本人の父が竹井さんを認知した事実を認めることはできない」としました。
これについて支援団体の弁護士は「科学を無視した判断だ。竹井さんも納得できない」として、9月29日に東京高等裁判所に即時抗告したということです。
#外交・安全保障(251004)