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http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170311#1489229258
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20161227#1482835116


今回は三越デパートやCOREDOが立ち並ぶ日本有数のお買い物エリア、営団地下鉄三越前駅がスタートです。


A6出口を上がるとすぐに第一目標の福徳神社が見えます。お洒落なお買い物ゾーンの真ん中に真新しい鳥居と社殿。


お買い物帰りの人たちがたくさん参拝に訪れており大変な賑わいでした。

福徳神社で参拝を終えた後、表通りにあたる中央通りを南下。江戸の昔から五街道の起点となる日本橋を渡ります。


日本橋の上は首都高で覆われてしまっています。日本橋に空を取り戻そうと首都高の地下化を推進している地元商店会を中心とした運動があります。でも1兆円かかるそうです(*_*)。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20160913#1473762912


沖縄平和運動センターの議長、山城博治被告(64)は去年8月、アメリカ軍北部訓練場の近くで沖縄防衛局の職員の肩を揺さぶりけがをさせたなどとして、傷害や公務執行妨害などの罪で起訴されています。


山城議長は当時、北部訓練場のヘリコプター発着場の建設に反対する活動をしていて、去年10月に逮捕されてから5か月以上勾留されていました。


那覇地方裁判所は17日、弁護側の求めに対し保釈を認めましたが、検察側が福岡高等裁判所那覇支部に不服を申し立てていました。


これについて、福岡高等裁判所那覇支部は18日、検察側の申し立てを退け、保釈を認める決定をしました。山城議長はこのあと、勾留されていた那覇拘置支所を出て記者会見を行うことにしています。


山城議長の勾留が5か月間続いたことについて、国際的な人権団体の「アムネスティ・インターナショナル」は人権侵害だと指摘したうえで、「基地の反対運動を萎縮させるおそれがある」と強い懸念を示していました。


山城議長は17日に那覇地方裁判所で開かれた初公判で、起訴された内容の一部を否認し、無罪を主張しています。


去年10月に逮捕されてから5か月以上勾留されていた沖縄平和運動センターの議長、山城博治被告(64)は18日午後8時ごろ、那覇拘置支所を歩いて出て支援者らの前に姿を見せました。


山城議長は去年8月、アメリカ軍北部訓練場の近くで、ヘリコプター発着場の建設に反対する活動をしていたところ、沖縄防衛局の職員の肩を揺さぶりけがをさせたなどとして、傷害や公務執行妨害などの罪で起訴されています。


那覇地方裁判所は17日、弁護側の求めに対し山城議長の保釈を認め、検察側が不服を申し立てていましたが、福岡高等裁判所那覇支部は18日、検察側の申し立てを退け保釈を認める決定をしました。山城議長は、このあと那覇市内で記者会見を行うことにしています。


長期間にわたる勾留について、国際的な人権団体のアムネスティ・インターナショナルは、人権侵害だと指摘したうえで、「基地の反対運動を萎縮させるおそれがある」と強い懸念を示していました。


山城議長は17日、那覇地方裁判所で開かれた初公判で、起訴された内容の一部を否認し無罪を主張しています。

保釈された山城博治議長は、出迎えた支援者らを前に、「元気で出ることができ、皆さんと再会できて、こんなにうれしいことはありません。きのうの初公判のあとは、検察側が保釈させないのではないかと思い、夜は眠れなかったが、保釈と聞き安どしました。拘置支所には、沖縄県民や全国の人たちから激励の手紙が届き、感謝しています。裁判はきのう始まったばかりで何か月かかるか分かりませんが弁護団と一緒に無罪を勝ち取ります」と述べました。


東京ガスとの土地の取得交渉の責任者だった浜渦武生元副知事に対する証人質疑は、19日午後1時から都議会の百条委員会で行われています。この中で浜渦元副知事は、東京ガスと行ったとされる「水面下の交渉」について、「当時、東京ガスには豊洲の開発計画があり、株主にも説明していた。そこに東京都が突然、市場をつくるから協力しろではなかなかうまくいかない。東京ガスとしては移転の話が出ると、自分たちが持たないから個別に折衝を改めてやらせていただきたい。水面下でやらせてくれということだった」と述べ、水面下の交渉は東京ガスの提案だったと主張しました。


そのうで「交渉ごとは先方の意向をそんたくしないとうまくいかないので、私は水面下で結構ですと申し上げた。悪いことだとは思っておらず、事業を推進させた」と述べ、別の開発計画のある東京ガスと移転交渉を進めるには水面下の交渉に応じる必要があったとする認識を示しました。


また、東京ガスとの交渉を進めるため、東京ガスの幹部と縁戚関係のある国会議員に取り次ぎを依頼したことや、地元の江東区の区長や区議会の有力者などにも根回しを行ったことを明らかにしました。


一方、東京ガスが提出した資料の中で、都の理事が東京ガスに対し、「石原知事が安全宣言しないと、東京ガスにとって土地の価格が下がって困るだろう」などと、浜渦元副知事の指示を伝えたと記されていることについて、議員から政治的な圧力ではないかと指摘されたのに対し、浜渦元副知事は「そういうことは承知しておりません」と述べました。


また、土壌汚染対策については「当時、土壌汚染があるのは承知していたが、どれほどかはわからなかった。東京ガスには調査を求めきれいにしてくれなければ土地は買えないと伝えていた」と述べましたが、平成13年7月に移転に向けた基本合意を結んだことを最後に交渉役を外れたため、その後の交渉で土壌汚染対策がどのように取り扱われたのかは把握していないと主張しました。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170318#1489833986


教育勅語を1890年に起草したのは、当時の法制局長官、井上毅である。彼は明治憲法を起草した知識人だが、憲法と同じぐらい教育勅語には情熱を傾けた。それは彼が自由民権運動に危機感を抱き、日本国民を統合するには、天皇を中心とする国家意識を子供のときから教え込む必要があると考えたからだ。

教育勅語が日本を戦争に導いたわけではない。むしろそこに見られる無内容な「国体」が軍部や皇道派に利用され、「大東亜共栄圏」などの誇大妄想に発展したことが問題なのだ。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170310#1489142968

#家父長制#父権主義

大阪国学院

#政界再編#二大政党制


シリアの内戦は、ロシア軍の支援を受けるアサド政権が去年12月に北部の主要都市アレッポを完全に制圧し、軍事的に優位に立っています。反政府勢力が拠点としてきた西部のホムス郊外のワエル地区も政権側が包囲していますが、反政府勢力とその家族合わせて1万人以上が退去することで先週、政権側と合意し、18日、バスでシリア北部にある反政府勢力の別の支配地域に向けて退去を始めました。


シリア国営通信は現地の知事の話として、赤新月社やロシアの憲兵などが問題が起きないよう退去に立ち会っていると伝えました。退去が完了するまでには数週間かかると見られています。


シリアの内戦をめぐっては先月、国連が仲介してアサド政権と反政府勢力の和平協議が再開されましたが、双方の立場の隔たりは大きく、議論は進んでいません。こうした中、軍事的に優位なアサド政権は各地で圧力を強め、着々と支配地域を広げています。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20170316#1489661470


ドイツ南西部のバーデンバーデンで開かれていたG20は、日本時間の18日夜11時に2日間の討議を終え、声明を発表しました。


それによりますと、声明では自由貿易を推進するG20の立場を明確にするためにこれまで盛り込まれてきた「あらゆる形態の保護主義に対抗する」という文言が盛り込まれませんでした。


また為替政策については、為替レートの過度の変動や無秩序な動きは経済および金融の安定に対して悪影響を与えるという認識や、通貨の競争的な切り下げを回避するとして、輸出を増やすため意図的な通貨安への誘導を政策の目標にはしないというこれまでの合意を再確認すると声明に明記しました。


一方、世界経済の現状について、回復しているもののその勢いは弱いままで、下ぶれするリスクが残っているという認識を示し、各国が金融、財政、構造改革などすべての政策手段を動員し、力強く持続的な成長を目指すことを確認しました。

井伊直親 - Wikipedia

永禄3年(1560年)、従兄であり養父でもある直盛が桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。しかし当時の遠江国は「遠州錯乱」と呼ばれる混乱状態にあり、直親は小野政直の息子・小野道好(政次)の讒言により、主君の今川氏真から松平元康(のちの徳川家康)との内通の疑いを受ける。縁戚であった新野親矩の取りなしで、弁明のためにわずかな供で駿府へ向かう道中の永禄5年12月14日(1563年1月8日)または同年3月2日、掛川で今川家の重臣朝比奈泰朝の襲撃を受けて討ち死にした。享年27。


これにより井伊氏は一時的に衰退した。家督は養父直盛の娘でかつて許嫁であったとされる直虎が継いだ。嫡男の虎松は三河鳳来寺などにかくまわれ、15歳の時に徳川家康に仕えるとともに直虎に代わって当主となり、のちの徳川四天王である井伊直政となった。また、遠江国が家康の支配下になった後、直親の無実が証明され、讒言した小野道好は獄門になっている。

小野道好 - Wikipedia

隣国三河国では徳川家康が今川氏を離反し、今川氏を破った織田氏と同盟を結んだ。この頃になると直親も徳川氏に心を寄せ、密かに内通していたという。道好と直親は、父同士が因縁もあり関係は不仲だった。道好は井伊谷を横領しようと画策していたとされるが、直由が後見役に収まっていたために果たせずにいた。そこで直親の内通を知った道好は、永禄5年(1562年)に駿府今川氏真に直親が織田・徳川氏に内通している旨を密告した。氏真は直親追討の軍を挙げようとしたため、直親は氏真へ陳謝するために駿府へ向かうが、途中の掛川にて今川氏重臣朝比奈泰朝によって殺害された。道好は氏真の命を奉じて直親の遺児・虎松(後の井伊直政)も討たんとしたが、井伊氏に近い今川家重臣新野親矩によって阻まれた。その後、永禄6年(1563年)には井伊直平が死去し、永禄7年(1564年)には中野直由が戦死した。井伊谷を預かっていた直由が亡くなり井伊谷城が無主となったため、井伊氏は直盛の娘である次郎法師井伊直虎)を当主とした。


永禄11年(1568年)、甲斐国武田信玄が今川氏の本国・駿河国に侵攻した。これに際して道好は駿府で今川軍に従っていたが、虎松を殺害して井伊谷を掌握し、その軍勢を率いて加勢するよう氏真より命じられる。道好はその命を奉じて井伊谷に入り、井伊氏より井伊谷を横領する事となった。虎松や次郎法師、直盛後家の祐椿尼は井伊氏菩提寺龍潭寺に入って難を逃れている。だが徳川家康は道好の専横に対し、近藤康用鈴木重時菅沼忠久井伊谷三人衆を派遣し、井伊谷を奪還させた。道好は敗北して井伊谷から退去し、近隣に潜伏していたが捕えられ、永禄12年(1569年)に堀川城攻撃の仕置きで、獄門を言い渡され井伊谷で処刑された。そのひと月後には道好の男子2人も斬罪となった。

新野親矩 - Wikipedia

主家・今川氏は桶狭間の戦いの後、急速に衰えており、今川氏の連枝から正室を迎えた三河国の松平元康などの離反が相次ぐ中、親矩は今川氏に忠節を尽くした。永禄5年(1562年)、同じ遠江国人であった井伊氏の当主・直親が小野道好の讒言により、謀叛の嫌疑を掛けられて今川氏真に暗殺された。親矩は井伊氏の縁戚であったこともあり、妹の娘で井伊家の家督を継いだ直虎や、直親の遺児である直政を保護している。このことは井伊氏の菩提寺龍潭寺の住職に「井伊氏1000年の歴史で、最大のピンチを救った」と評されている。

左馬武神社 〜 井伊直政の恩人 | 武蔵の五遁、あっちへこっちへ