2005年の、いわゆる郵政解散のときも、多くのメディアや政治家は、「結局は解散することができない」と読み違えた。
これは性格ではなく胆識の問題。
「両刃鉾を交えて避くるを須(もち)いず。好手還って火裏の蓮に同じ。宛然として自ずから衝天の気有り」。
「上段は敵の心を踏定め陰の心を陽にこそ見れ」。
「中段は敵の心をその中にうつり調子を同じ拳に」。
「下段をば陽の心を陰に見て打突く剣を清眼と知れ」。
政治家が責任ある地位に就くと、その“性格”が政治のかなり大きな要素となる。ひょっとすると、その人の思想よりも性格のほうが大きな要素になるかもしれない。
性格ではなく人物。
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20080120#1201600226
当時のフランス首相ダラディエやイギリス首相チェンバレンの妥協的性格が戦争への流れをつくった面は無視できない。
しかし西園寺は、最善の努力はしても、捨て身の努力をしたようには思えない。
会社でも組織でもそうだが、最高指導者の性格を正しく理解すれば、その将来について正確な見通しを持つことができるものだ。