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二〇〇二年十二月二十六日夜。首相の小泉純一郎は〇三年度予算編成の慰労を名目に財務省幹部を赤坂プリンスホテル内のフランス料理店「トリアノン」に呼んだ。
 本当の目的は単なる慰労ではなかった。興に乗ってきたところで小泉は財務次官の武藤敏郎を別室に誘い、単刀直入に切り出した。「日銀副総裁を引き受けてくれないか」

二月に入ると間もなく小泉は富士通総研理事長だった福井に電話を掛け、総裁就任を要請した。即答しない福井に小泉は畳みかけた。「副総裁には武藤を起用する」。福井は受諾した。

旧大蔵事務次官経験者として最後に日銀総裁になった松下康雄は、一九九八年に接待汚職などの責任を取って任期途中で辞めざるを得なかった。その後、日銀総裁速水優、福井と二代続けて日銀出身者となり、旧大蔵省と日銀出身者が交互に就くという不文律が崩れた。

「武藤総裁」の実現は、財務省にとって旧来の秩序を取り戻すための十年来の悲願だった。

主計官僚を中心とする一家意識の強い財務省内に田波への複雑な気持ちが沈殿した。

中川は日銀総裁人事が民主党内政局と連動している現状を分析しつつ、福田の真意を探った。

 ざわめき立ったのは、党内の小沢と距離を置く勢力だ。

 仙谷らの警戒の底流には、昨年、福田と小沢が合意しかけた自民、民主による「大連立」構想の再燃がある。

 そして仙谷ら反小沢勢力の疑心を一段と深まらせて勢いづかせたのが、与党が衆院通過目前で撤回した「つなぎ法案」だった。

日経新聞朝刊)
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