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春秋(3/22)

ゲーテが日記以外で最後に書いた、いわば辞世になる警句詩「市民の義務」を胸に刻んでほしい。「銘々自分の戸の前を掃け、/そうすれば、町のどの区も清潔だ。/銘々自分の課題を果たせ、/そうすれば、市会は無事だ。」(高橋健二訳)

 この義務を免れんがための理屈が、ポストモダンであり、養老−内田ラインのやり口であって、彼らは、「何もない」、つまり、「市会」には目的もなければそれを実現する方法もなく、元々解決すべき問題すらなく、そもそも「市会」の存在そのものが幻想だという。
 しかし、それは、行儀の悪い者が「色々ある」(これを彼らは「多様性」という。)と言うのを学問化しただけのものであり、亀田某が「正しい会見なんかあるんか?」と言ったのと同じ屁理屈なのであります。
 彼らには、「何もない」と言いながら、自分の主張―主体性を失ったものだが―があり、それを通したいのです。
 合コンなんかで、「いい男」をエサにして―ジェットコースター効果を応用して―それを相対化して、自分に関心を振り替えるようなもので、自分の立場が相対的に低いということを認識した上で、それでも相手を嵌める能力があると思っている。
 そして、そういう男は、内に囂々たる慢心を抱えておって(=卑下慢)、外見上は、上目遣いをして周りの様子を覗うという特徴がある。
 こういう連中が世の中を乱しているのでありまして、こういうことを「天下元無事、小人これを乱すのみ。」というのであります。
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