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【賢者に学ぶ】民主主義に内在する「悪」、新聞の役割とは… 哲学者・適菜収 - MSN産経ニュース

トクヴィルは、「専制はいつの時代にも危険だが、民主的な世紀には格別恐るべきものである」(同前)と言う。民主主義社会では永続的に革命が発生する。平等化が進行すると、そのこと自体により不平等が目立つようになり、羨望と嫉妬によりさらなる平等化が進められる。こうして前近代的な階層社会やギルド、村落共同体が完全に崩壊した結果、社会的紐帯(ちゅうたい)は消滅し、孤立した個人は「群集の中に姿を没し、人民全体の壮大な像のほか、何も見えなくなる」(同前)。


 これこそ、「徹底した自己喪失」という現象である。近代人は格差に耐えられなくなり、無制限に拡大した欲望は永遠に満たされなくなった。彼らは、信仰心を失い、権威を認めず、自分の殻の中に閉じこもる。そこでは、「数え切れないほど多くの似通って平等な人々が矮小(わいしょう)で俗っぽい快楽を胸いっぱいに想い描き、これを得ようと休みなく動きまわる」(同前)。彼らは同胞の運命に無関心で、自分の子供と特別の友人だけを人類のすべてと考えている。

 トクヴィルは、社会の平等化を不可逆的な現象と捉え、復古主義を退けたが、権力の濫用(らんよう)を防ぐための制度が必要だと言う。


 たとえばそれは「利己主義を抑制する」宗教であり、政治的な結社であり、新聞である。


 トクヴィルは、新聞が世論を煽(あお)る危険性を指摘した上で、それでも「社会の紐帯を維持する装置」として重要視した。もっとも、こうした社会的「緩衝材」が本来の役割を放棄し、社会および国民を裏切ったときに、全体主義は完成するのである。

「徹底した自己喪失」→ 相対主義(逆さま思考法)→ 哲学的ゾンビ
http://d.hatena.ne.jp/d1021/20140902#1409654996