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Republic (Oxford World's Classics)

Republic (Oxford World's Classics)

エドマンド・バーク - Wikipedia

バーク保守主義は、記憶にもない、記録にもない、祖先から相続した古来からの“制度”を絶対的に擁護し、それを子孫に相続していく哲学である。

このようなバーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のごとくに堆積している、古来からの“制度”には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。

自由は祖先から相続した財産であるがゆえに国家に対して不可侵権をもつのであり、けっして人権や自然権であるからではない。

「バーク哲学」を体系的に継承してその復活を英国で試みたのは、十九世紀末の歴史家ジョン・エメリック・アクトン卿であった。ルソーとフランス革命を「功利主義」という偽装的な言葉で「現代化」したベンサムの英国型全体主義理論がJ・S・ミルによって社会主義へと発展している事態を憂慮して、バークを用いて反撃に出たのである。

ウィンストン・チャーチルマーガレット・サッチャー

ロナルド・レーガンは、反共反ソであっただけでなく、米国史上初めて“バーク保守主義”を信奉する大統領であった。

フランスにおいては、初のバーク主義者はトックヴィル

Reflections on the Revolution in France (Oxford World's Classics)

Reflections on the Revolution in France (Oxford World's Classics)

フランス革命の省察

フランス革命の省察

フリードリヒ・ハイエク - Wikipedia

英国のマーガレット・サッチャーや米国のロナルド・レーガンによる新保守主義新自由主義の精神的支柱となった。

1944年に発表した「隷属への道」("The road to serfdom")では社会主義共産主義ファシズム、ナチズムが同根の集産主義であると批判し当時のベストセラーとなる。1947年にはリバタリアニズムに立脚する学者が集結した組織「モンペルラン・ソサイエティー」を組織し、その初代会長を務めた。

ハイエクは現在はリバタリアニズムの思想家の一人とみなされているが、本人は古典的自由主義者(classical liberal)を自称し、エドマンド・バークに倣いOld whigと呼ばれることを好んでいた。

さらにハイエクは特にフランスに見られるような「理性」に至上の地位を与えるような合理主義には常に反対していた。人間は現存の秩序をすべて破壊し、そこにまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではないとし、既存の秩序、つまり「自然発生的秩序」の重要性を説いた。彼の自由主義は、あくまでイギリス・アメリカ的経験論に基づくものである。

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081029#1225225750
ジョン・スチュアート・ミル - Wikipedia

社会民主主義自由主義思想に多大な影響を与えた。ベンサムの唱えた功利主義の擁護者。晩年は自ら社会主義者を名乗る。

ミルは専門職としての「学者」であったことは一度も無い。

あらゆる彼の思想の基礎にあるものは(彼自身の)功利主義という倫理的な姿勢であり、それらは『功利主義』(1861年)などおいて彼自身が述べている。

ミルは、自由とは個人の発展に必要不可欠なものという前提から議論を進める。

ミルの功利主義はその提唱者であるベンサムとはたもとを分かつ。簡単に述べると、ミルの功利主義は、快楽に(ベンサムが唱えた量的なものよりも)質的な差異をみとめ精神的な快楽に重きを置いた。

「満足した豚よりも不満足な人間である方が、また満足した愚か者よりも不満足なソクラテスである方がよい」

「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。この思想の支持者はしばしば リバタリアンと呼ばれる。

国民はどの程度の客観的証拠による注意によって、自らの自由な注意によってどの程度まで政府に干渉されずに、自由な意思決定をなすべきなのかについて自由論において考察を行った。例として毒薬の薬品の注意書きは政府によって命令されるべきか、自らの自由な意思によって注意すべきかを挙げて考察している。もし自らの意思によって注意すべきであるならば、政府は注意書きをつけるように強制すべきではないが、それが不可能ならば政府は注意書きを強制すべきであるというのである。ここに国民の能力の問題をも取り上げることとなった。これは酒や、タバコの注意書きや、それと類似に経済学的に意味がある酒税や、タバコ税の意味についても同じことがいえることになる。もし注意すべきではないということになれば警察国家となるであろうし、一方リバタリアンのように経済的なことのみに注意すべきであるということも可能であろうし、またスウェーデンのような福祉国家を主張することも可能であるということになる。

ミルの『自由論』の議論の多くは消極的自由についてである。

「自由之理」として中村正直に翻訳され、大隈重信立憲改進党の思想に大きく影響を与えた。

ミルは、他者に危害を加えない行為をするために、(個人の自由な行いを邪魔する)法などの障害を取り除くことができるのは政府の役目であると説いている。

ニューデールを含め自由主義の運動には常にミルの自由論が大きく影響を与えたことは否めないといいうる。

基本的にミルは自由放任政策の支持者であったが、ロバート・オウエンなどのユートピア社会主義者の潮流の影響を受けて社会主義的な色合いを帯びており

基本的にミルは自由放任政策の支持者であったが、ロバート・オウエンなどのユートピア社会主義者の潮流の影響を受けて社会主義的な色合いを帯びており、マルクスとはしばしば対比される。『経済学原理』の版によってその社会主義への接近の度合いは変動し、最終版では社会主義に対してやや距離を置いている。これは、勃興する急進的な社会主義運動の実勢に、ミルが幻滅したためではないか、と考えられている。社会主義体制の持つであろう恣意的な分配、表現の自由の圧殺などの考えられる弱点について、手厳しく、かつ先見性に富む予言をしていることも注目すべきであろう。

ミルは、生産が自然の法則によって与えられる(農地からの収益を想起せよ。これに加えて、ミルは人口の影響を考慮していた。)のに対して分配は社会が人為的に変更可能であることに着目し、政府の再分配機能によって、漸進的な社会改革を行うことに期待している。その意味では「大きな政府」によるセーフティ・ネットの構築に、激化する階級対立の処方箋を見出した、と言える。長い時間はかかったが、おおよそ英国社会はマルクスの激越な革命の予言ではなく、ミルの書いた穏健な処方箋の方向へ徐々に進んだ、と言っても良いだろう。

後にフェビアン協会へと連なっていく英国の社会民主主義に、具体的な、正統派経済学からの理論的裏づけを与えた最初の経済学者の1人として評価することもできる。現代日本社会の未来像において、ミルの古典的な処方箋に再び経済学史のスポットライトが当たることがあるのかもしれない。

自由論 (光文社古典新訳文庫)

自由論 (光文社古典新訳文庫)

http://d.hatena.ne.jp/d1021/20081104#1225753726
ジェレミ・ベンサム - Wikipedia

功利主義は、ベンサムの門弟であるジョン・ステュアート・ミルによって、修正され拡張された。ベンサムの理論には、ミルの理論とは異なり、公正さの原理が欠落している、としばしば言われる。例えば、拷問される個人の不幸よりも、その拷問によって産出される他の人々の幸福の総計の方が大きいならば、道徳的ということになる、という批判がある。