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【正論】立命館大学教授、大阪大学名誉教授 加地伸行

律令制は国家が土地を所有して中央集権を図るわけであるが、まもなく荘園という私有地が現れ、それが拡大され転形して、実力で土地を私有する武士団が登場し、律令制が空洞化してしまった

 その極致が江戸時代の藩である。藩主は将軍家に従って土地を所有し、一方、朝廷から律令制に基づく位階を受けた。実(土地)は私的、名(位階)は公的という形だ。

権力を持つ幕府も天皇の権威をついに奪うことはできなかった。

天皇の権威は奪われず常に権力の上に立ってきた。

天津神が支配しつつも国津神の存在を隠しきれないという力関係にあったということです。
ただ皇室の方々は天系のミタマばかりではありません。
社説:両陛下の半世紀 「象徴」のあり方求め続け

 民間から皇太子妃という初の出来事は新風を皇室に吹き込んだ。

「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めてこんにちに至っています」

「常に国民とともに」

【両陛下ご結婚50年】会見(1)「厳しい経済情勢、祝って頂くこと心苦しくも…」

 顧みますと私どもの結婚したころは、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から日本国憲法のもと、自由と平和を大切にする国として立ち上がり国際連合に加盟し、産業を発展させて、国民生活が向上し始めた時期でありました。


 その後の日本はさらなる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。


 また、都市化や海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は人々の生活から離れた存在となりました。

 時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、また、日本国憲法にある「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。


 象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。

 なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。

 皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇のあり方として、その望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは、次世代の考えに譲りたいと考えます。

【両陛下ご結婚50年】会見(2)「WBC、サムライ的で美しい強さを持って戦っておりました」

 《皇后さま》50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心がいっぱいでございました。今日、こうして陛下のおそばで金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。


 結婚以来今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらしたころには、将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。


 こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時とともに深められ、国の出来事や、人々の喜び、悲しみに、お心を添わせていらしたように思います。


 50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)に取るべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。


 陛下のお時代を共に生きることができたことを、心からうれしく思うと共に、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった、大勢の方たちに感謝を申し上げます。


 質問の中にある皇室と伝統、そして次世代への引き継ぎということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事および祭祀(さいし)とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。


 また、皇室が過去の伝統とともに現代を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々とともに今という時代に丁寧にかかわりつつ、1つの時代を築いてこられたように思います。 


 伝統とともに生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに、気付かされることがあります。


 一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名のもとで、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。


 また、伝統には表に表れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その2つがともに継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。


 WBCで活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、「ござる」とか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。陛下のおっしゃるように、伝統の問題は、引き継ぐとともに、次世代に委ねていくものでしょう。


 私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から、皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。

【両陛下ご結婚50年】会見(3)「結婚で開かれた窓から多くを吸収、今日の自分を作っていった…」

 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓


 婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。

【両陛下ご結婚50年】会見(4)「陛下が誠実で、謙虚で、寛容でいらしたことが何よりの支え」

嫁いで1、2年のころ、散策にお誘い頂きました。赤坂のお庭はクモの巣が多く、陛下は道々クモの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉の付いた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って、渡してくださいました。


 ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思いだすと、胸が温かくなります。

【両陛下ご結婚50年】会見(5)「結婚50年の人々、共通した経験をして今日に」

 結婚したころは必ずしも豊かでありませんでしたが、みな希望に満ちて未来に向かって進んでいったのではないかと思います。そして、その前の時代に戦争があり、その戦争の厳しい環境の中で、青少年時代を送ったことだと思います。 このように、この結婚50年の人々はさまざまな、そして、共通した経験をして今日に至っていると思います。


 このたび、結婚50年に当たって、結婚50年を迎えられる人々をお招きしてこの茶会を催し、それぞれの皆さんがたどってきた道を話し合うということは、私どもにとっても意義深いことだと思いますし、また、お互いに話し合って楽しい一時になるのではないかと期待しています。