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【幕末から学ぶ現在(いま)】(14)東大教授・山内昌之 林忠崇

 幕末にも筋を通した武士(もののふ)は少なくない。なかでも脱藩大名と謳(うた)われた林忠崇は、その気概と信念で他を圧している。今の千葉県にあった請西(じょうざい)1万石の領地を朝廷に返上し、自ら脱藩浪人となって徳川の恩顧に応えるべく、新政府軍と戦った稀有(けう)の人物である。

死を予期して明治元年に詠んだ辞世は凄絶(せいぜつ)である。


 「真心のあるかなきかはほふりだす腹の血潮の色にこそ知れ

 林家は小禄とはいえ、正月元旦に徳川将軍より最初に盃(さかずき)を賜る名誉の家柄であった。

こうして忠崇は、旧大名として政治家や官僚に転じる道を封じられてしまう。

 しかし、人間としての本当の凄みはここから始まる。明治5(1872)年に赦免された忠崇は、とても名門の末裔(まつえい)とは思えぬ人生を送る。まず旧領地で鍬(くわ)鋤(すき)を振るう開拓農民となり、東京府の学務課下級官吏、函館の物産商の番頭、大阪府の役所書記などの職を20年以上も転々とした。普通の没落士族でもつらい有為転変である。

 忠崇のたくましい精神力には驚くほかない。これだけの人生体験をもった旧大名が政治家や官僚になっていたなら、多彩な経験をいかしてどれほどの業績を挙げたであろうか。


 天道是か非か、である。忠崇は、どの時代の政治家が望んでも得られない94歳の長寿をまっとうした。雅号は一夢。人生はまことに一炊の夢のようだというのだ。 彼の悟達は晩年に詠んだ句がよく示している。


 「琴となり下駄となるのも桐の運

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