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新府城 - Wikipedia

沼田城 - Wikipedia

同年6月の本能寺の変を経て、武田遺領をめぐる「天正壬午の乱」が発生する。天正壬午の乱において沼田城は後北条家に降った真田昌幸の支配となり、徳川氏と後北条氏の間で沼田領帰属問題が持ち上がるが、昌幸はいずれの提案も拒否し、上杉氏の傘下に入る。これは後年の徳川氏との上田合戦や後北条氏による度重なる侵攻を招くことになるが、いずれも退ける。

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内山城 - Wikipedia

小諸城 - Wikipedia

天正壬午の乱 - Wikipedia

本能寺の変によって空白地帯となった旧武田領を巡って、周辺の大大名である徳川家康北条氏直上杉景勝が争った出来事である。さらに真田昌幸を始めとする武田の遺臣や、地元の国人衆が復帰や勢力拡大を画策したため、情勢がより複雑化した。


大大名同士による争いは、上杉と北条の講和、及び徳川と北条の講和によって終結を迎え、景勝が信濃北部4郡を支配、甲斐と信濃は家康の切り取り次第、上野は氏直の切り取り次第という形で決着する。家康は信濃、氏直は上野の平定を進めたが、最終的には沼田領帰属問題に端を発する真田の徳川から上杉への寝返りが発生し、真田が独立勢力として信濃国小県郡及び上野国吾妻郡・同国利根郡を支配した。結果として、上杉は北部4郡の支配を維持、徳川は上杉領・真田領を除く信濃と甲斐全域、北条は上野南部を獲得した。真田領の問題は後の上田合戦に発展していく。


この戦によって家康は(先の駿河を含め)数ヶ月で5国を領有する大大名となり、織田氏の勢力を継承し天下人になりつつある豊臣秀吉と対峙していくこととなる。また、東国を差配する3氏の関係(徳川と北条の同盟、徳川と上杉の敵対関係)も、豊臣政権に対する東国情勢に影響を与えていくこととなる。